力が湧いてこないことがある。
体が動かなかったり、頭が冴えなかったり。
僕がここで何か書こうとしても、何も思い浮かばなくなったり、何も降りてこなかったり。
ぼんやりとしたことがあるけれど、まだはっきりしていなかったりする。
ぼんやりとしたものを言葉なりで表現しようとするには、それなりのエネルギーを必要とする。
思いだけで走ることもできない。
ここで何かを書く時、実際のところ、結論めいたことを最初から構想して書いているわけでもない。
それどころか、最初に書こうとしていたことと違った展開になっていくこともザラにある。
それころ、思いついたままだ。
それでも、書き始める時には、雲のようなものにある程度、言葉という形ができてくる。
その過程で多分、普段であればあまり感じないけれど、それなりのエネルギーを使っているのだと思う。
それがエネルギーという類のものなのかも分からない。
雲のようなものに実体を与えるのは、エネルギーではなく、キャッチする周波数の合わせ方だとか、雲から実体につながる通路の広い狭いとか、そんなものかもしれない。
エネルギーを使うというと、力を入れるイメージになるけれど、実は力を入れるほど、雲から実体につながりにくくなるような気がしている。
むしろ力を抜く。
そういう意味では、エネルギーと言っている時点で、力が入っているのかもしれない。
この社会に生き抜くために、どうしてもあちこちに力を入れて、自分を防御しつつ、進んでいかなければ、と思ってしまう。
そんな力任せの中から出てくるものは、かなり無理やりで、自然からも遠い存在になってしまうのだろう。
何も思いつかない、何も手につかない、湧き上がるものが出てこない。
そんな時には、まずは力を抜くことからかもしれない。
今日何を書こうか、となって、ふと、そんなことを感じたのでした。