自分の将来がどうなってしまうかなんて、正直なところよく分かっていない。
自分を取り巻く環境だって、自分の意思とは関係なく変わっていってしまう。
ついこの間までは当たり前と思っていたことが、そうではなくなってしまう。
正に一寸先は闇だ。
ただ、そうなるとどうしても物事を近視眼的に見てしまう。
手っ取り早く結果が欲しくなるし、お金だって今すぐ欲しくなってくる。
切羽詰まってどうしても必要だ、ということで無くても、すぐに手に入れたくなってくる。
きっとそうやって無駄な動きをし、無駄な投資をし、無駄なものを買っていったのかもしれない。
先々のことを考え、計画的に進めていった方がいいという事は分かっている。
そして、計画を立てる時はそれなりに楽しかったりする。
あれもしてみたい、これも実現してみたいと思い、これを着実にやっていけば到達できるだろう、とも思う。
ところが、やり始めると、その計画が重荷となってのしかかってくる。
1日にこれだけはやっておく、と言ったことが段々出来なくなってきて、その計画について考えることも見るのも嫌になってくる。
目先のことに囚われることもなく、かと言って中長期な計画にもこだわることなく、とするにはどうしたらいいのだろうか。
最初から明確な数字とか言葉といったものに表さないほうがいいのかもしれない。
数字とか言葉と言ったもので自分のやりたいことを可視化すると実現しやすい面はある。
欲しい物は言葉に出すと手に入るとも言われる。
そこでなんでも言葉にしていったら、物だらけになってしまうかもしれない。
表に出てきた数字や言葉が自分の本当のことを表しているとは限らない。
数字も言葉も自分の思いとの間に微妙なズレがある。
いくら精緻さを極めても、自分の持つボキャブラリーに限定されてしまう。
自分の感覚の方が、数字や言葉以上に豊かな広がりを持っている。
まずは、感じてみることからなんじゃないか。
目の前のことに飛びつくでもなく、計画に押しつぶされるでもなく。
計画を立てるということも、もしかしたら、目先の手っ取り早い目標に飛びついているだけかもしれない。
自分の感覚を大事にするというのは、無闇やたらと数字や言葉にしないことなんじゃないか。
そんなことを思ったのです。