頭では分かっていても、なかなか体が動かないこともあるし、「そうは言っても、、、」と言い訳めいたことを言ったりすることもある。
理詰で「こうですよね」と言われると、ぐうの音も出なくなるし、なんだか逃げ場がなくなってしまう感じがして、どこか息が詰まる思いをする。
そして、理屈を言われると、なんだか押し付けられているような感覚にもなる。
そうなると、ますますどこか反発したくなってくる。
理屈で言われた通りにした方が、多分うまくいくんだろうとは思う。
でも、なんかそこに従いたくない、という思いも湧き上がる。
そして、そもそも理屈が全て正しいわけではない、と分かったような屁理屈を自分の中でこしらえて理屈を拒む。
僕らは感情に左右される。
自分がこしらえた理屈には従うけれど、外から与えられた理屈には拒否反応を示す。
だけれど、外からの理屈を受け入れることもある。
それはどんな時だろうか。
自分の心の中にどこか余裕がある時かもしれない。
時の流れがあまりに急に進んでいると、自分の中の余裕がなくなってくる。
だから、自分にとっても有益なことであっても、ついつい自分の感情を優先して拒絶してしまうことがある。
少し立ち止まろうと思う。
あまりにたくさんのことを瞬時に判断しなければならない状況の時にこそ、立ち止まろうと。
きっと、自分が思っている以上に自分は焦りもあって余裕をなくし、自分の感情ファーストになっているかもしれない。
それには、まず、自分が焦っているのか、余裕をなくしているのかを把握しておく必要がありそうだ。
周りから吹き込まれる理屈のいくつかは、時に真逆のことを提示したりもする。
そこで判断する際にも、自分がどういう状態で、どういう感情を抱いているのかが分かれば、少しは判断にも余裕ができてるくるんじゃないか。
そのためにも、一旦、情報をシャットダウンする方が良さそうだ。
時間が微妙に空いていると、特にSNSは危険だ。
SNSを見るぐらいなら、ゲームでもした方が良さそうだ。
周りからの理屈を受け入れるにしても、拒むにしても、一呼吸を置いてみようと思うのです。