長いものに巻かれた方が楽だったりする。
判断を全て他に預け、どこかで不満を感じながらも、それを愚痴っているだけの方が楽だったりもする。
上手くいかなくても、自分で責任を被ることはない。
問われても責任は限定される(はず)。
(もっとも、自らの判断の責任を下に押し付ける人も結構いるので、要注意なのだが。)
それは楽ではあるけれど、楽しいとは感じない。
達成感とか満足感といったものもない。
ただ僕らは1人で生きることはできない。
どこかで何らかの長いものに巻かれている。
そして、できることならより長く、より広大で、より強い物に巻かれたいと思う。
自分が目の前にしている権力とか権威といったものも、その長さは限られている。
上には上が、長いものにはさらに長いものがある。
そうやって考えていくと、自分では見当もつかないような長く、広大で強大なものがあるんじゃないか。
どうせなら、それに巻かれた方がいい。
もうそこまでいくと、巻かれているという感覚すらなくなるのかもしれない。
お釈迦様の掌に乗っている孫悟空のようなものだ。
神とかお釈迦様といったもの、それは表現によっては、宇宙とかサムシンググレートと呼ぶのかもしれない。
そうしたものに巻かれた方がいいんじゃないか。
そして、そうしたものに巻かれているという感覚をどこかに持っていた時、実際に自分を巻こうとするものが短く小さく感じるかもしれない。
短いとか小さいと言ったことは比較によって出てくる感覚だが、その先がないぐらい長大で広大なものとの比較では、全てが短く小さい。
僕らは何に巻かれているのか。
そして、何に巻かれた方が心地良いのか、どんな巻かれ方が心地良いのか。
それを確認した方が良さそうだ。