長いものに巻かれることについて。 | 生き心地の良いライフスタイルを目指して(K.TAKUYAのブログ)

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自分の持つ感覚を磨き直し、自分に気づき、生き心地の良さとはなんだろうと探求し、気が付いたことを書き連ねています。

長いものに巻かれた方が楽だったりする。

 

 

判断を全て他に預け、どこかで不満を感じながらも、それを愚痴っているだけの方が楽だったりもする。

 

 

上手くいかなくても、自分で責任を被ることはない。

 

 

問われても責任は限定される(はず)。

(もっとも、自らの判断の責任を下に押し付ける人も結構いるので、要注意なのだが。)

 

 

それは楽ではあるけれど、楽しいとは感じない。

 

 

達成感とか満足感といったものもない。

 

 

ただ僕らは1人で生きることはできない。

 

 

どこかで何らかの長いものに巻かれている。

 

 

そして、できることならより長く、より広大で、より強い物に巻かれたいと思う。

 

 

自分が目の前にしている権力とか権威といったものも、その長さは限られている。

 

 

上には上が、長いものにはさらに長いものがある。

 

 

そうやって考えていくと、自分では見当もつかないような長く、広大で強大なものがあるんじゃないか。

 

 

どうせなら、それに巻かれた方がいい。

 

 

もうそこまでいくと、巻かれているという感覚すらなくなるのかもしれない。

 

 

お釈迦様の掌に乗っている孫悟空のようなものだ。

 

 

神とかお釈迦様といったもの、それは表現によっては、宇宙とかサムシンググレートと呼ぶのかもしれない。

 

 

そうしたものに巻かれた方がいいんじゃないか。

 

 

そして、そうしたものに巻かれているという感覚をどこかに持っていた時、実際に自分を巻こうとするものが短く小さく感じるかもしれない。

 

 

短いとか小さいと言ったことは比較によって出てくる感覚だが、その先がないぐらい長大で広大なものとの比較では、全てが短く小さい。

 

 

僕らは何に巻かれているのか。

 

 

そして、何に巻かれた方が心地良いのか、どんな巻かれ方が心地良いのか。

 

 

それを確認した方が良さそうだ。