絶望が足りないのは自分を見つめていないから。 | 生き心地の良いライフスタイルを目指して(K.TAKUYAのブログ)

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自分の持つ感覚を磨き直し、自分に気づき、生き心地の良さとはなんだろうと探求し、気が付いたことを書き連ねています。

何をやってもうまくいかない時がある。

 

 

一つのうまくいかないことが原因となって、その次のうまくいかないことを引き起こしている、なんてこともある。

 

 

そう、悪循環に陥っている。

 

 

一度悪循環に陥ると、なかなか抜け出せない。

 

 

もがけばもがくほど悪くなっていくような気がして来る。

 

 

そうなると、もう何をする気もしなくなる。

 

 

それで何もしないと、またそれも悪循環の輪の中に取り込まれてしまったりする。

 

 

動いても止まってもダメだ、と思ってしまう。

 

 

実際はどうなんだろうか?

 

 

悪循環だと思い込んでいるだけなんじゃないか。

 

 

自分の頭の中では原因と結果の悪循環の理屈がつながっているように感じる。

 

 

しかし、うまくいくサイクルが回っている時でも止まってしまうように、悪循環だって必ずしもサイクルが綺麗に回っているわけではないはずだ。

 

 

永久機関が物理的に存在しないように、僕らのしていることもエネルギーの動きだとしたならば、やはり悪循環というのも永久ではないはずだ。

 

 

ただ、もがいてみることで抜け出すのか、止まることで抜け出すのか、サイクルの真っ只中にいると分からない。

 

 

悪循環になっていると思った時、僕らはそのサイクルの外から自分を眺めている。

 

 

そこにヒントがあるかもしれない。

 

 

「悪循環だ!」と思うと絶望感でいっぱいになるけれど、その絶望こそが抜け出す希望の糸口になるんじゃないだろうか。

 

 

悪循環から抜け出せないと嘆いているばかりの時は、もしかしたら僕らの絶望がまだ足りていないのかもしれない。

 

 

スポーツ選手が調子を落としている時には、一旦しっかり落として、そこから調子を上げていくという。

 

 

自分の体のコンディションをちゃんと把握しているからできることなんだろう。

 

 

僕らも、自分の状態をちゃんと把握するところからだ。

 

 

それは、自分をしっかり見つめることなんだと。

 

 

絶望が足りないとは、まだ自分を見つめ切れていない、ということなんじゃないか。

 

 

もがくことで自分が見えることもあれば、止まることで自分が見えることもある。

 

 

もがくのか、止まるのか、ということが問題ではなく、自分を見つめることが悪循環の時に問われているんだと。

 

 

そう思うのです。

 

 

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