受け入れてみよう、自分の中で受け止めてみよう、ということは大事だと思うです。
だが、いつも受け入れ、受け止められるか、というとなかなかそうもいかない。
同じ本を読んでもちっとも頭に入ってこない時もあるし、ブログを読むのも面倒になる時だってある。
やはり、自分の中で受け入れ体制が整っているかどうか、ということはあるんだと思うのです。
お腹が一杯な時には、いくら目の前に美味しいものがあっても食べられない。
眠たい時にはご飯を食べたいとも思わない。
いくら自分のためになることであっても、受け付けない時というのはある。
それならば、とりあえず脇にそっと置いておくだけでいいんじゃないか。
食べたくなったらあそこに行けばいいんだな、ということだけ頭に留めておく。
なんか書いてあったな、というだけに留めておく、
無理に受け止めることもない。
そりゃ、なんでも受け止めるだけ自分の器を広げたいと思うけれど、どんどんと苦しくなるなら本末転倒ということにもなりかねない。
受け止めることができなくても、置いておけばいい。
それで、置いておくとはどういうことなんだろうか。
実は出会ってしまった段階で、受け入れる受け入れないに関わらず、自分の目の前に置いてある、ということなんじゃないか。
そして、それを拒絶すれば、遠いところに置かれて、何も感じなければ、そこら辺に置かれているかもしれない。
ただ、そこら辺に置かれたものが、必ずしもすぐに受け入れられるわけではない。
拒絶して遠くに置かれたものは、拒絶というマーキングをしているので、目立って置かれていることもある。
だから、気になってしょうがない。
それで、少し余裕ができると、まずは目立つところからそっと近づいてみることもある。
そして、気がついたら自分の中で受け入れていた、なんてことになっている。
出会っても、そのままスルーしたなら、置いていたことさえ忘れてしまう。
僕らはいろいろなことに出会う。
それらを受け止めようとするけれど、無理することはない。
置いておいて、後から取りに来ればいい。
本もブログも後から読んでもいいし、食べ物だって、お腹がすいてきてから食べればいい。
今出来なければ、置いておけば、後から出来る。
きっとどこかで受け入れ、受け止める時は来るから、その時まではとりあえず置いておく。
そう思うのです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
お話をしたいと思ってくださる方は、
このアメブロのコメントを残していただくか、
メッセージを入れていただくか、
あるいは
mail@kontak1.com
にメールをお送りください。
ブログ(2つのブログ)のまとめと、
個人的なことを書いたメルマガを始めました。
https://resast.jp/subscribe/52007
ーーーーーーーーーーーーーーーーー