誰も見ていないし、訊いてもいないのに。 | 生き心地の良いライフスタイルを目指して(K.TAKUYAのブログ)

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自分の持つ感覚を磨き直し、自分に気づき、生き心地の良さとはなんだろうと探求し、気が付いたことを書き連ねています。

誰かに訊かれているわけでもないのに、自分の頭の中で、自分の行動の理由を考えてしまっている時がある。

 

 

その中には言い訳めいたものもあったりする。

 

 

外からの目線というのは、それがたとえ直接には見られるようなことをしていなくても、感じたりするものだ。

 

 

外からの目線というのは、自分への問いかけとして感じたりする。

 

 

ほとんど妄想と言っていい。

 

 

妄想している外からの問いかけは、「何をしているの?」とか「なんでやっているの?」といったものが多い。

 

 

そして、そうした問いかけへの答えを頭の中で用意しようとする。

 

 

「私は〜をしています。それは〜だからです。」

 

 

という言葉を事前に用意しておけば、それ以上の相手からのツッコミはなくなる。

 

 

だが、誰も見ていないし、誰からも訊かれていない。

 

 

事前にそうした答えを頭の中でこしらえようとするのは、誰かに見てもらいたいし、誰かに訊かれたいからかもしれない。

 

 

つまりは、自分という存在を認めて欲しい、ということなんだと。

 

 

だが、たとえ誰かが見ていて、訊ねたとして、「私は〜をしています。それは〜だからです」、という答えを事前に用意していたならば、それ以上、何も訊かれなくなるし、見てくれた人の関心を他に移ってしまう。

 

 

用意していたことで、逆にかえって自分への関心は無くなってしまう。

 

 

少し飛躍して考えると、自分を見て欲しいと願うほどに、自分に対する関心は引かれてしまう、ということにもなる。

 

 

それでも頭の中で理由を考えてしまうのは何故なんだだろうか?

 

 

きっと、何か訊ねられた時に、言い淀むことなくスムーズに答えられるのが良い、そうすることで自分がよく見られる、という思い込みがそこにあるのかもしれない。

 

 

こう書いていて、随分と勝手な思い込みだけが先走っているな、と思ったりする。

 

 

だけれど、こんな先走った思い込み、膨らむ妄想、こうしたことが僕らの承認欲求の先にあるのかもしれない。

 

 

そう、誰も見ていないし、誰からも訊かれていないのに。

 

 

 

 

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