思っていることと実際に行動が伴っていない時、人は言動不一致という。
言動不一致なことが度々起こると、聞いている人間は「またか」という気分になる。
言っている側とすれば、とにかく何かを変えなければならないという思いにか駆られている。
そして、具体的は方法を一つのサンプルとして提示する。
なんとかしなければ、という危機感が強いほど、新しい仕組みを導入しがちになる。
提示された仕組みは確かになかなかよくできていることが多い。
だが、その仕組みは一回限りではあまり意味がない。
どれだけ継続して行えるか、ということが重要になってくる。
そして運用段階になると、発案者の手から離れ、実務担当者の手に委ねられることになる。
委ねられた担当者は、危機感自体はなんとなく分かるのだが、そこで提示された仕組みなり方法を、実際の運用ベースに落とし込み、PDCAのサイクルを回しながら進めて行くのはかなり荷が重いと感じてしまう。
少なくとも、今までとは違うことをするのだから。
当然ながら、現場の担当者にそれを定着させようすると、今までのやり方との大きな変更を伴うので、反発もあるだろうし、なんとなく理解はできても日々の業務に忙殺されて、そこまで手が回らない、ことも多々ある。
最初に考える人、多くの場合は経営トップなり経営に近い層が考えることだ。
その際にはどうしても、大風呂敷を広げがちで、小さく産んで大きく育てて行く、という発想がなかなか出てこない。
また、思いつきで行われれることも多く、それに現場が振り回されることも多々ある。
振り回される側とすれば、必ずしも納得いっていないことでも、上からの指示ともなれば、やらざるを得ない。
トップの考え方に心酔し、自分の思いとも合致していればいいのだが、大抵は全てではないにしても、どこかに違和感を持っているものだ。
少なくとも、現場担当者にとっては湧き上がるような思いはない。
組織がある程度小さな単位であれば、そこでの指揮にすり合わせを行えるかもしれない。
だが、組織が大きくなったり、部門を横断するようなことになると、皆がみな、そこにコミットし、湧き上がってくるものがあるという訳にはいかない。
とりあえず、トップが言っているのだから、一度はやって見るか、というスタンスでいるしかない。
小さく産んで大きく育てる。
組織に風土を変えたり、最終的に大きく変えて行くときに、いきなり大きな改革を志向しても、なかなかうまく進まないし、定着するまでにかなりの時間を要する。
これは、自分を変えよう、とするときにも言える。
まずは小さく産んで見る。
最初の一歩に費やすエネルギーは、外から見える歩みは小さいかもしれないけれど、とてつもなく大きなものとなる。
小さく産んでみることがまずは大きな1歩になる。
その一歩がなかなか踏み出せないときには、まだ自分の中のエネルギーがまだ満たされていないのだろう。
たとて小さな動きであっても、それをするにはエネルギーの充満は必要で、それなしに動いても、結局のところ自分の中でも言動不一致に陥り、それを思ってまたくよくよしてまう。
はじめの一歩の際にはエネルギーの充填はしっかりと行っていこう、
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