「雨ニモマケズ」のようになりたくない、けれど。 | 生き心地の良いライフスタイルを目指して(K.TAKUYAのブログ)

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自分の持つ感覚を磨き直し、自分に気づき、生き心地の良さとはなんだろうと探求し、気が付いたことを書き連ねています。

宮沢賢治の「雨ニモマケズ」という有名な詩がある。

 

 

「雨にも負けず、風にも負けず」から始まる詩だ。

 

 

その詩の最後はこんな形で締めくくられている。

 

 

「みんなにでくのぼーと呼ばれ

褒められもせず

苦にもされず

そういうものに

わたしは

なりたい」

 

 

「私はなりたい」と結んでいるから、宮沢賢治も願望は持っているけど、まだそこにまで至っていなかったのだろう。

 

 

僕らはそうした願望すらなかなか持とうと思えないでいる。

 

 

特に、「褒められもせず」はハードルが高い。

 

 

この詩では、雨にも風にもめげることなく、東奔西走して、それでも「でくのぼー」(役立たず)と呼ばれてしまう。

 

 

「でくのぼー」は本来的には、人のいいなりになる、気の利かない、といった意味もあるが、ここでは、役立たずの意味で使っているのだろう。

 

 

僕らは、自分の取り巻く人たちから、あれこれ言われて、言いなりのようにやらざるを得ず、でも一方で、言われた通りにしていれば、「言われなくても動け」と言われてしまったりもする。

 

 

褒められるまで行かなくても、せめて感謝の気持ちが言葉としてあれば、少しは報われた気持ちになる。

 

 

すこし綺麗事を言えば、「褒められるからやる」「感謝されるからやる」となれば、逆に「褒められなければやらない」「感謝されなければやらない」となる。

 

 

だから、いちいち褒めてもらって、モチベーションを上げてもらうなんて期待することがおかしい、ともなる。

 

 

 

だが、褒められたり感謝されたりもなく、逆にやっても怒られたりするのでは、ストレスが溜まる一方になる。

 

 

褒められもせず、苦にもされない、そんな存在を望んでいたわけでもないのに、いつの間にかそんな存在になってしまっている。

 

 

そして、そんな状態に心が苦しんでいる。

 

 

表面上は「決して怒らず、いつも静かに笑っている」ようにしていながら。

 

 

プロセスをすっ飛ばして「雨ニモマケズ」の境地に至ろうとすることは、逆に心を壊してしまうかもしれない。

 

 

むしろ、どんな欲を持っているのか、その根源にあるものは何なのか。

 

 

そうした自分の感情を探求し、見つめ直し、手放し、そこで初めて、「雨ニモマケズ」の境地に一歩近づくのではないだろうか。

 

 

参考までに「雨ニモマケズ」の全文を上げておく。

(原文はカタカナ文)

 

 

雨にも負けず 

風にも負けず

雪にも夏の暑さにも負けぬ

丈夫なからだをもち

慾はなく

決して怒らず

いつも静かに笑っている

一日に玄米四合と

味噌と少しの野菜を食べ

あらゆることを

自分を勘定に入れずに

よく見聞きし分かり

そして忘れず

野原の松の林の陰の

小さな萱ぶきの小屋にいて

東に病気の子供あれば

行って看病してやり

西に疲れた母あれば

行ってその稲の束を負い

南に死にそうな人あれば

行ってこわがらなくてもいいといい

北に喧嘩や訴訟があれば

つまらないからやめろといい

日照りの時は涙を流し

寒さの夏はおろおろ歩き

みんなにでくのぼーと呼ばれ

褒められもせず

苦にもされず

そういうものに

わたしは

なりたい

 

 

 

 

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