高2次男 期末試験が終わった。
これからは遊び放題。
さっそく友だちとラーメンツアー。
帰宅後はゲーム三昧。
まもなく修学旅行もはじまる。
勉強なんて「メリハリ」なんだから、試験が終わったら遊べばいいと思います。
大人だって、「大きなプロジェクト」が滞りなく完遂したら、しっかり休憩をとって自分の好きなことをしたり、友人や家族とリフレッシュするものです。
今回、結果はまだ戻ってきてないけれども、感触を聞く限り、十分よくやったのではないかと思います。
高2以降になると、「文系」「理系」に別れるし、「数学」はもとより、「理科」や「社会」も選択科目になるしで、「学年順位」「クラス順位」みたいなものは意味がなくなる(たぶん、出ないんじゃないか)。
ベンチマークは、「同じ科目を選択した人たちの平均値との乖離」くらいでしょうか。
たぶん、いずれの教科も、平均値を下回る感じではなさそう。
推薦入試などに使用される「平均評価点」の基準値は、「定期テスト」の「絶対値が〇点以上で評価点△」みたいに決まっているようです。
たとえば、「(平均値がどうであろうと)75点だったら、評価点は5」とか、そんな感じで。
その絶対値的なものも、きっと悪くなさそうな予感です。
こう書くとすげー良い点のように思われるかもしれませんが、私自身、子どもの学校の定期テストの点には甘いだけなんで、それほど自慢できるほどの感じではありません。
さて、今回の期末試験で、私は「古文」と「現代文」の「文学史」などで少し試験勉強の手伝いもしたのですが、多くは(当然ですが)本人の勉強計画でした。
最初、「数学」について、私も一緒に勉強しようかと思ったのですが、途中脱落です。
先月末が急に仕事で忙しくなったのと、「数学」の「漸化式」「数学的帰納法」について、教えようにも私の方がよくわかんなくなってきたのです。
教科書の例題、解き方が書いているのに、読んでて途中でよくわからなくなってくる(わたしが)。
私はもとより「数弱」を自認してはいますが、「数学的帰納法」は昔から得意だった記憶があるのです。ああいう計算が少ない証明問題は好きだったのです。
読んでて、途中で「あれ?」と止まっちゃうのですが、それはよく読むと、その「前段」で学んだばかりの「漸化式」の知識がしっかり身についていないと、その部分がよく理解できない仕組みなのでした。
そこで、「漸化式」も読み直してみる。
しかし、「漸化式」も途中で「あれ?」と止まっちゃうのです。
これは、その「前段」で学んだばかりの「数列」のとある「公式」の知識がしっかり身についていないと、その部分がよく理解できない仕組みなのでした。
そういうことね。
数学はまちがいなく「積上げ」の学問なのです。
「先週授業」で学んだ知識が、しっかり身についていないと、
「今週の授業」で何言ってるのかわからなくなり、
また「今週の授業」がわからないと、
「来週の授業はさらにわけわからなくなる」のでした。
だから、「途中で学んだこと」をひとつひとつ、「完全に理解・暗記」できていないと、あっというまに「おいてけぼり」になり、「授業中ずーっと何言ってるのかわからない」状態なので、「しかたない、寝るか」という数弱高校生あるある地獄に陥るのでした。
この地獄堂々巡りの仕組みを、今回改めて思い出したのでした。
途中からはいってきた転校生は友だちになれない仕組みです。
この「輪廻」を断ち切るためには、「自分で」(あるいは家庭教師の方などについて)、「昔のステージをやりなおす」という「強い意志」が必要になります。
ふつうの高校生に、そんなものは絶対にない。
そんな「強い意志」があるような人間は「数弱」にはならないのです。
「高校生の数学地獄」を今回あらためて思い知った次第です。
なぜ「数学」が「わからない」状態になるのか。
↓とはいうものの、「数学」ができるできないは、人によるんだと思うのでした。
今日みつけたこの東大卒美人弁護士さんもそう言ってます。
↓「合格するための勉強」だったら計画次第で誰でもできるって話にも共感できます。
あとね、私の周りのホントにスゴイ大人たちって、「東大出」のスゴイ人ももちろんいるんだけど、「大学名は別にアレ」だけど、その辺の「東大卒」なんかより圧倒的に優れた仕事をされ続けているような大人の人もたっくさんいるんだよね。
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