ドラマ「不適切にもほどがある」がすごく好きです。
ギャグの切れ味という意味では、クドカンにはもっといいものがたくさんありますし、
登場する俳優陣にも少々華やかさが欠けるかもしれませんが、
このドラマの良さは「現在メディアのいきすぎたコンプラ意識」への風刺が利いていることです。
●芸能人の不倫報道とそれに対する強すぎるパッシング とか
●パワハラ・マタハラその他「過剰なハラスメント主張」による被害 とか
●メディア中の各種自主規制が「細かすぎて厳しすぎて」バカバカしいレベル とか
昨今の世の中の「やりすぎやろ」的に思うことを、ミュージカル風のコメディシーンでオブラードにつつみながら、マイルドに批判していること。
視点の基準が1980年代というのも、私や宮藤官九郎世代的でいい。
「茶化す」レベルにとどまらざるを得ないのは、「不倫」や「パワハラ」を肯定するわけにはいかないので。
「それにしたってやりすぎやろ」的な意識は、多くの人がうっすら感じていたことです。
テレビ局のアナウンサーが一回不倫報道が出たら閑職に回されるとか。
そりゃ「浮気」は良くないに決まってるけど、それを「国民みんなが責める」ってのは、やっぱりなんか違うんじゃないかとか。「夫の浮気」を責めるのは基本的には「奥さん」であって、世田谷のパティオに集まった「友達夫婦」が責めるのも違うし、ましてやテレビを見ている視聴者たちとはほぼ関係ないわけで。
しかし、それを「芸能人の不倫は視聴者と関係ない」とか言い出したら、すごく怒られちゃうから、なかなか言い出せない風潮があります。
だから誰かが、笑い話的に、「やっぱりやりすぎちゃう?」と示唆する必要があったのかと思います。
この「批判」にはすごい「バランス感覚」が必要なのと、「お笑い」で「本質を包む」技術が必要でした。
昨今、ダウンタウンの松本人志さんや、サッカーの伊東選手などの例でも顕著ですが、
「スキャンダルが命取り」
なご時世です。
ちょっとでもスキャンダルが出たら、社会的にほぼ抹殺されるに近い。
少なくとも、それまで通りの活躍する場を奪われる。
ということは、たとえネタ元が「嘘」だろうが「デマ」だろうが、
「文春」様が最高権力者ということになるわけです。
「文春」様が「スキャンダル」をばらまけば、いかにその人が、「日本のお笑い文化を作った最高峰」の人だろうが、「サッカー日本代表を牽引した人物」だろうが、東京都知事だろうが、総理大臣だろうが、もう一巻の終わり。再起不能、少なくともパフォーマンスの一番いい時期を逃す。
「文春」様に逆らったら終わりだね。
「文春」様は三権分立の上に立つ。
その手下のような、「ガーシー元国会議員」とか「元NHK党首T氏」が、「スキャンダル」をえさに、何かを強請ろうとしている気配もあります。
「魔女狩り」という言葉が頭によぎります。
既に「民主主義」からは外れていそうです。
そういう世の中に「不適切にもほどがある」というドラマが出てきたことが価値があると感じてます。
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2024年は大変な始まり方でしたが、
これからV字回復で、皆様にとってすばらしい一年となりますことをお祈りします。
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