最近「運」についていろいろ本を読んだりしてます。
こういうのとか。
こういうのとか。
こうした本の著者は
●最新の量子物理学
●著者自身の経験
等を根拠に書いていることが多い。
いろいろ読んだ中でまとめると、
●自分は「運」がいいことを先に認識して感謝しておく
ことが「運」を上げることのポイントみたいです。
現在「生きて」いろんな「可能性」があることだけでも、考えてみればすごく「運」がいいことで、
また、よく観察すると、すごくラッキーなことが世の中には満ちあふれているのに、
そのことに気がつかない、あるいは「当たり前」と思って、「もっともっと」と欲張るような態度じゃ、「運」もよってこないみたいな感じでしょうか。
そうじゃなくて、「今、あるだけでもすごく感謝すべきことは多い」ので、そのことに細かく気がついて「ありがたいなー」と思っている人のところに、さらに「運」は降りてくる、みたいな感じかも。
神様にしてみれば、いくらでも、たくさんのプレゼントをあげているのに、それにはちっとも感謝せずに、もっといいものねーのかよ、とかばっかり言ってる人が、いたら、そんな人にそれ以上のプレゼントなんかやるかと思うんじゃなかろうか。
そうじゃなくて、ちょっとしかプレゼントしてないのに、すっげー大喜びで、やったー神様ありがとー、大好き!! と大騒ぎしてくれるような人がいたら、「そうかそうか、そんなに喜んでくれるなら、もっといいものあげようねー」と思って、どんどんプレゼントの金額が高くなっていく、みたいな感じではないかと思います。
聖書によれば、「人」は「神」に似せて作られているらしいので、「人」の感情と神様の感情は多少は似ているかもしれない。
とにかく、「恩知らず」の人は、得は少ないというのは、そりゃ当たり前のことかもしれません。
われわれはつい「自分の努力で」何かしらの成功なりお金なり地位なり立場なりを得ているつもりでいますけれども、よく考えると、それはそもそも結構「運」が良かったからに違いなかったりします。
「仕事」だって「お金」だって、それより「生命」だったり「健康」だったり、それは「誰か」から与えられて今いるのかもしれません。
そうじゃねーよ、俺の努力だよ、とかいうのは、「お釈迦様の手のひらの上の孫悟空」みたいなものかもしれない。
自分のやってることなんて、ほんのちっぽけなことで、多くの良い恵みは、たいてい「天」とか「世の中」とかそういうものから、まわしてもらっているだけだ、みたいな感覚で、いつも「おかげさま」で「ありがたいなー」と感謝している人のところには、もっとたくさん「いいこと」がめぐってくるのかもしれません。
ところが、「ケッこんだけかよ、シケてんなー、隣のうちみたいに、ラッキーなツヅラとか出てこねーのかよ」とか思っている、舌切り雀の意地悪ばあさんや、こぶとりじいさんの意地悪じいさんのような人のような人には、ますます悪いことが起こってしまうのではないでしょうか?
とりあえず、他人と比べる前に、「今自分が(天から)もらっているもの」に喜んで感謝していれば、「運」は上がるんじゃないかというのが、最近読んだ本の総合的結論です。
もちろん、「信じる信じないはあなた次第」なので、ご自身の信念をお持ちで生きてる方は、そのまま貫かれるのがよろしいかと存じます。
ただ、わたしが年をとって、感じるのは、「聖書の言葉」や「お祈り」って、結構マジで効くなーということなのでした。ちゃんちゃん。
2024年は大変な始まり方でしたが、
これからV字回復で、皆様にとってすばらしい一年となりますことをお祈りします。
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