教師の力量には差がある | 趣味の大学受験【次男大学受験篇】父子並走日記

趣味の大学受験【次男大学受験篇】父子並走日記

2024年長男大学進学。今度は次男の大学受験だ。
在宅自由業20年超オタク系ガキオヤジによる「受験」「育児」放言日記

昨日の、長男の理系塾の映像授業を垣間見て、すごく感じたこと。

あたりまえのことなんですが。

各教師の「教育」に対する「力量」(教育力とでもいうもの)には、当然、差があります。

「どの先生に習っても結局は本人次第」とか、「先生によって教わる内容に差はない」みたいな、「幻想」をわれわれは抱きがちではありますが、実際のところは、先生間には、ある種の能力に差がある。

そりゃ人間なんだから、差はありますよね。

 

●まず、先生本人の「知的水準」が実際問題結構違う。

●先生ごとに「卒業高校」も「卒業大学」も当然違う。

●先生が「受けてきた教育レベル」も違うし、

●先生が学校を卒業した後に「自主的に勉強した量」も違うし、

●先生が「読んできた本の量や質」も違う。

●なにより、先生に「教育に対する情熱・熱意・本気度」が大きく違う

  (↑これが差をつける最大の要素かも)

 

「学校の先生」というのは、「工業製品」でもないし、「ロボット」でもないし、「AI」でもありません。

「学校」は「教育工場」みたいな「オートメーション化」され「全国均一」みたいな印象もありますけれども、それはやっぱり事実と異なっている。

 

近年(戦後?)、「公教育」は「どこでも同じ教育」が受けられることを標榜してきたように思われます。

「ゆとり教育」なんてのはその典型で、全国一斉に、「今後日本の小学校では、円周率はこれからは3として教育しよう」とか、お上が決めちゃえば、先生方はみなそのカリキュラムに沿って教育するようになりました。

「これからはベクトルを教えなくてもいいことにしよう」とか、「教える漢字の数は減らそう」とか、「英語は文法よりも英会話を重視しよう」とか、そういう教育指導要領がその都度配布され、公教育は「どこの学校でも同じ内容」をしなきゃいけないんだから、義務的に、事務的に、「教科書通り」に、「文部省の言うまま」に、教えることになります。

 

そういう「文部省」の言うことって、たいてい「レベルの下の方に合わせがち」ですよね。

日本は「平等」や「公平」をモットーとする国ですから、「なるべく落ちこぼれを出さない」ことを重視して、「みんなが同じ教育を受けられる」ことを最優先し、才能のある子は勝手にやりなさい、むしろ公教育ではちょっと邪魔、くらいな方針のようす。

 

 

で、国の方針がそういう「下にレベル」を基準にしているので、わかりにくくなっているのもありますが、実際問題、教師たちにも、結構な「ばらつき」があり得ます。

公立学校の教師には、「教え子に対する性犯罪」すら、散見される世の中です。

 

世の中の会社には、「できる営業マン」もいれば、「できない営業マン」もいるのはあたりまえです。

「優秀なエンジニア」もいれば「そうでないエンジニア」だっているでしょう。

「給料の高い人」もいれば「そうでない人」もいます。

世の中「多様性」で「個性」のある人の集まりの「競争社会」ですから、「能力に違い」があるのはあたりまえのことです。

営業のプロの人たちの中でも、上中下があるんですから、教育のプロである先生たちの中にも、上中下があるのはあたりまえってこと。

でも、「公教育」では「どこの県でも、どこの学校でも、同じ内容の教育が受けられます」というのが「たてまえ」ですから、「教育者による差」を極力なくすために、「教科書のレベルを低いところに抑えている」のかもしれません。そして「単に教科書を読み上げるような授業」を全国の教師に強いているような印象もあります。

 

 

 

「やる気があり」「能力の高い」先生方は、そういう「低レベル」を強いられる公教育の方針に「むなしさ」とか「バカバカしさ」を感じるかもしれません。

「私立の学校」をはじめ、「私塾」や「予備校」などの「公教育の枠組みに縛られない」教育機関に、そういう優れた先生方は集まりがちなのはきっとそういうことなのでしょう。

特に、「塾」「予備校」だと、市場経済・自由競争の仕組みも生まれがちですから、「やる気」「能力」「実績」次第で、「破格のお給料」まで支給されがち。

そりゃ優秀有能な先生はどこにいるのかってのは、言うまでもない自然の流れ。

 

 

ps.ちなみに、うちの息子の通う私立中高の先生方、噂レベルに過ぎませんが、みなさん「超一流大学」をご卒業された(修了された?)方ばかりなようです。

中でも、わたしが、イチオシだった国語の先生がいるのですが、その人早稲田じゃないかなーとわたしは個人的に推測していたのですけれども、最近の噂じゃ、その先生、東大卒らしい。東大出て普通の学校の先生やってる人いるんだ、と驚き。早稲田卒の先生は世の中たくさんいらっしゃいますが(うちの田舎の公立高校にも複数いらっしゃった)、東大出の中高の先生ってあんまいないですよね。

 

さらに、ちなみに、「学校の先生」は「学歴」じゃないってこともつけくわえます。

高学歴ですげー優秀な先生も当然いらっしゃる一方で、学歴はそれほど有名大でもなんでもないけど、メッチャクチャ優秀な先生もすっごくたくさんいらっしゃることも、これはみなさんご存じの通り。

たぶん、「教育力」は(前述の通り)先生の「やる気」の多寡と最も相関が高い。

わたしもそこはホントに強調です。

(※教師に限らずあらゆる職業は、「学歴」もさることながら、「やる気」が1番重要要素)

そして、文脈から誤解のないように言いたいことは、「公教育の中にも、すばらしい先生はすっごくたくさんいらっしゃる(むしろそんな先生ばっかり)」ことと、そうしたすばらしい先生方の圧倒的な熱量で日本の教育はなりたっているということも、前提としていますので。よろしく。

 

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