美容師をして25年、ビューティ岡本に入って22年。
失敗して、お客様を悲しませてしまったこともある。
最初のびびり(基本的にびびり)は専門学生の2年の夏休み、ビューティ岡本に入社したくて、
夏休みの2週間だけ研修をさせてもらった。
当時のビューティ岡本は簡単な言葉で言えば社長も、お客様も怖かった。威圧感がすごい。ギラギラしていた。
駐車場には高級車が並び、
指にはゴツゴツの宝石がついた指輪。
店内では社長がお客様に
「こんな髪型したくない、他でやってもらって!」
とか言って怒鳴っていた。
とんでもないところに来てしまったと思った。
一日がとても長い。富士宮から沼津まで憂鬱で仕方がなかった。
そのうち、夕飯も喉に通らなくなった。
何も食べる気がしない。
2週間経った時には5キロも痩せていた。
専門学校を卒業したら気軽な気持ちで入社しようと思っていた。大きな大きな間違いだった。
卒業までの間、ずっと悩んだ。このまま入ってやっていけるのか?いや、絶対無理だろう。
『逃げた』
そう、「他の店でやります』という、
言い訳めいた手紙を送り逃げた。
そして、富士宮市内の美容室で3年間働いた。
そこでの3年間は全く無駄ではなかったことは先に
お伝えしたい。練習も自由にさせてくれ、
一年目からカットもさせてもらえた。
でも、その3年間ずっと、
ビューティ岡本社長のカットが頭から離れない。
流れるような、滑るような、軽やかなカットワーク。
熱意と情熱に満ちたお客様とのやりとり。
あの2週間は自分の中では地獄だったけど、
刺激的すぎた。
『あのカットを身につけなければ美容師になった意味がない』
ずっとそう思っていた。
ちょうど3年経って店を辞めた。
今度こそビューティ岡本に入社しようと覚悟は決まっていた。だけど、気が全く進まない。何せ逃げ出したのだから。
ようやく半月ってやっと、
面接希望の連絡を入れた。
「面接をさせてください」と伝えた。
今思えば3年前に2週間だけ研修をしただけの奴、
自分勝手に手紙を送り逃げ出した男。
そんな奴覚えてはいないだろうと思った。
だけど、「待ってたよ、おかえり」と言ってくれた。
面接は3回くらいした。1回目は社長と、当時の店長。2回目はマネージャーが見てる前でカットをしてみなさいと。何を切ったかは緊張しすぎて全く覚えていない。3回目で入社が決まった。
働き出してからの日々は毎日が憂鬱。それは何も変わっていない。逃げ出したい、辞めたい、何もできない、レベルが高すぎる。
ある日、名古屋から来ていたお医者様に、カラーリングをしていたところ、「その塗り方はいつもと違う!」と怒鳴られた。僕は何のことなのか全くわからなかった。
お客様に怒られるなんて今まで経験しなかった。
知らない間に涙が溢れた。止まらない。目も鼻からも
永遠に溢れ流れてくる。
自分がやってきた3年間は何だったんだ?と情けなくなった。あの涙は自分への情けなさだったと思う。
お客様も懐が広い方だった。
いつもはこうだよ。と丁寧に教えてくれた。
もう、止まらない涙と鼻水で、お客様のシャンプーをさせていただいた。
ビューティ岡本は中途半端ではつとまらない。
お客様もスタッフのことを見抜く。上手い、下手もわかる。カットなんてどこも同じだ。いや違う。わかる人にはわかる。同じだと言っている人はそういう人に出会えてないだけなのだ。
その出来事が自分の意識を大きく変えた。
とにかくびびりぐせがあっても逃げない、正直に素直に人のせいにせず、地道にやるしかないと。
結局、カットできるまでに3年かかった。
最初の3年が全て覆された。
ずっとシャンプーしていたので、シャンプーはうまいと思う。
他にもやらかしたことはたくさんある。
先輩にもたくさん助けていただいた。
辞めたいと言った時も、
先輩が自然にご飯に誘ってくれた。
最後には社長も頑張れと抱きしめてくれた。
なんだかんだで22年、続けてこられたのは、
社長の存在。当たり前のように滑らかなカット、
熱意と情熱。すごいと、悔しいが入り混じる。
だからここにいる。
まだ45歳、社長からしたらまだまだ全然だろう。
僕もそう思う。
まだまだやらなきゃいけない。
上手くなりたい。
ビューティ岡本の精神と技術を
しっかり自分のものにしたい。
まだまだ。
僕が美容師になって得たたった一つの成功は
『ビューティ岡本のカットに出会えたこと』
本当に良かった。
もっともっとお客様に喜んでもらえるように、
頑張っていきます。
ありがとうございました。
戸塚拓也