ルマン24時間耐久レース | 大野拓弥Jkを応援する、騎手になりたかった親父のブログ

大野拓弥Jkを応援する、騎手になりたかった親父のブログ

競馬学校が無かった時代、反対する親に内緒で某調教師に嘆願書を書くほど騎手になりたかった親父が大野拓弥Jkを応援する大野騎手公認ブログです。

日曜日、大野騎手がマイネルリヒトで2600mの長丁場を勝った時、伝統の自動車レース「80回・ルマン24時間耐久レース」は始まっていました。



今年は久しぶりのTV生中継(衛星放送ですが)


13年ぶりにトヨタがハイブリットカーでの参戦と心はウキウキ、彼方昔の青春の扉が開いた気分でした。


しかし…


終わってみればアウディの3連覇&表彰台独占。


残念ながら日本車は全滅…





思えば小生とルマンは長い付き合い。


73年に我が?生沢徹が鮒子田寛とシグマで日本人初のルマン挑戦から。


91年には長年挑戦し続けたマツダがロータリーエンジン最後の年で日本車として初の優勝。


4年後の95年には関谷正徳が日本人として初優勝、22年目にしての悲願の初優勝でした。


その間、色々な日本人ドライバーが挑戦し続けました。


ミスタールマンこと寺田陽次郎、初のマツダロータリーで寺田とコンビで出場した岡本安弘に高橋晴邦。


マツダの契約ドライバー片山義美と従野孝司兄弟などなど。


日本車としてもマツダやトヨタ、日産、ホンダなどワークスカーは勿論のことプライベートでも童夢やトムス、トラストなど果敢に挑みました。




ちなみに小生の目に焼きついているのは生沢徹がドライブする42号車、伊太利亜カラーのクレイマーポルシェ。


当時なけなしの小遣いで買ったポルシェのプラモデルをピンクと黒と白のプラカラーで伊太利亜カラーに塗ったことが懐かしい…。