ブログネタ:好きな戦国武将は? 参加中皆さん!こんばんは!。
今日は、好きな戦国武将は
のブログネタで書きますね
人は彼をこう呼んだ!!
越後の龍!
正義の軍神!
毘沙門天の化身!
僕が、上杉謙信に惹かれるというと、義理を重んじた謙信は
決して私利私欲で、兵を動かさなかった事!。
生涯、戦で一度の敗北もきっしていない戦略の凄さ!。.
一度裏切った家臣を許し 更なる重責に据えてみせる大胆さと優しさ!。
(織田信長ならば、当然、八つ裂きにしてしまうでしょうね~)
通説によれば、生まれつきのカリスマ
性を持ち、兄から呼びもどされて元服すると
長尾家家臣はおろか、豪族達の心をつかんだとされている。
毘沙門天
の熱心な信者で自らの旗印
にも「毘」の文字を使った。
いわゆる天才
型で迅速な用兵と駆け引きの的確さから生涯殆どの戦で勝利をおさめたという。
武田信玄・北条氏康といった当時屈指とされる武将と戦い続け、
一度も敗北しなかった能力は物凄いの一言ですね!。
27歳の時、突然国を出て出家
騒動を起こしている。
直接の原因は不明であるが、絶えず起こる家臣達同士の争い・離反に嫌気がさしたものともいわれ、
一方で人身掌握のための狂言であるともいわれる。混乱の激化を恐れた家臣団は謙信に
「以後は謹んで臣従し二心を抱かず」との誓紙
を差し出し、騒動は治まった。
謙信の残した言葉に、こんな言葉がある!。
謙信 毘沙門天・・・・・北方を守る神よ!私はあなたと同化する・・・・・
我が越後(今の新潟県)へ襲い来る敵には、いくらでもこの身を投げ出し、民を守ろう!
特に、策謀と非道の限りを尽くす・・・・・!武田信玄にだけには
この越後・・・・・断じて渡すまいぞ・・・・・!
この言葉に、なんだか、凄く、男気というものをひしひしと、感じてしまったのです!。
宿敵武田信玄
の死を伝え聞いた食事中の謙信は、「惜しい男を亡くした。」と箸を落とし号泣!。
「信玄亡き今こそ武田攻めの好機」と攻撃を薦める家臣の意見を
謙信 「勝頼
風情にそのような事をしても大人げない」と退けている。
また、信玄との生涯にわたる因縁からか、それが転じて二人の間には友情めいたものが
あったのではないかと現在でも推測されることがあるが、
実際のところ謙信は信玄をかなり嫌っていたようである。
信玄が父親を追放したり、謀略を駆使して敵を貶めたりするのは
謙信に言わせるところの道徳観に反しており
(もっとも、戦国という時代を考えれば信玄の行いは別にあってもおかしくないものだが)
謙信は信玄の行いに激怒したという。信玄との利益もなにも考えない数々の闘争も、
謙信が純粋に信玄を嫌っていたからだという説もある。
謙信という男を表した言葉を書いてみます!。
人は皆、欲深きもの・・・・・。その醜き争いを止めることは容易いことではない・・・・・
わしは、不義が許せぬのだ・・・・・!そのような者が生きていくには
難しい世の中になってしまった・・・・・!寂しそうに呟いていたらしい・・・・・!
また、こうも言ったと、されている!
武田信玄・・・・・!俺はお主のように人の気持ちを逆撫でする
生き方をする者を捨て置けぬ・・・・・!!
今の世の中!。謙信のいう不義な人達だらけだよ・・・・・!
北条氏政の軍勢3万5千の兵に囲まれた城主を僅か3百の兵で救援に行こうとした謙信を
家臣が制止された時に家臣を諭した言葉が、あります!。
不義 働く者あらば いつ 如何なる場所へも飛んで行き・・・・・義の鉄槌を下す!。
その信念を曲げたら、わしが上杉謙信ではなくなってしまう・・・・・!
そういい残した謙信は、3万5千の軍勢のど真ん中を兜も被らずに堂々と入城し
北条氏政の度肝を抜いたそうだ!
北条氏政の軍勢は、その あまりに堂々とした謙信の入城ぶりに、
恐れをなし、早々に撤退したと伝えられている。
そして、謙信の唐沢山城の武勇は瞬く間に関東中に広まり・・・・・
厩橋城に戻った謙信の元には、なんと11万5千の大軍勢が集まったらしいのだ!
本当に、僕は織田信長が唯一、直接対決を避けた上杉謙信が長生きしていたら
日本の歴史が根底から変わっていたような気がしてなりませんね!
