皆さん❗️❗️お久しぶりです.拓哉です。

2015年12月1日僕の母が非結核型抗酸菌症 

という難病にかかってから、やっと専門医 

の居る病院にやっと入院する事ができたと 

いうのに肺全体の組織が70%製紙工場の

粉塵で詰まっていて残りの30%で

なんとか呼吸をしていた状態らしい。

いまでも忘れもしない忘れる事ができない

運命が変わってしまった日のこと.…

2015年11月27日 

自分の会社に出勤しようと、

朝7時頃に滅多にならないマンションの電話が

いきなり鳴った。姉の声だ…

すぐに嫌な予感が、した。

姉 お母さんが危篤になったから、

すぐに、お母さんが入院してる病院に来て…

とだけ、言って、電話が切れた……。

なんとなくどういう姿に母がなってしまって

いるか⁉️をなるべく考えない様に

千葉県の奥にある病院へ車を走らせた。

ようやく病室へ向かったが

そこに母はいなかった……。

母は、集中治療室の中で

完全に口から管を喉まで入れられて

人工呼吸器で強制的にさせられた屍の様

だった……。僕は思わず、眼を背けた。

先に到着していた姉と弟は母の屍の様な

ガリガリに痩せ細った身体に寄り添って

号泣していた。

僕は もうこのままお母さんを

こんな姿でずっといつまでも

苦しめたくない。

僕は先生に言って呼吸器を止めて、

お母さんを苦痛から解放してあげようよ

と言ったら、姉と弟は、鬼の様な顔をして、

こちらを憎しみを持って、睨んできた。

確かに、なんとか母の病状が快方に向かう    
確証があれば、 

いくらお金や時間をかけようが、

もし⁉️アメリカで有効な治療法があれば

行く覚悟もある

けれど…変わり果てた機械によって強制的に

呼吸だけさせられてる母を今すぐ苦痛から、 

解放してあげたいと願う僕と  

まだまだ母の死をとても受け入れられない

様子で泣きじゃくる姉と弟……。

そんな僕らの姿を母はずっと…どうやら

無意識に見てた様で

それから3日間も母は、自分の死を受け入れる

時間を待ってくれる様に頑張ってくれました

そして3日目の夜、容態が急変した

午後22時35分に僕が先生に 

もう…いいです。母を解放して…

そして…身体のいたるところに

刺さっている管を全て外し、人工呼吸器の

スイッチを今すぐ切ってください。と

言い放し、僕は集中治療室から出て

トイレに篭り、物凄く長く感じた
 
5分間の間に、僕を産み、ここまで

育ててくれて、人生でこれから1番大切に

しなければいけなかった……。

1番苦労をかけた人をこんなかたちで

失ってしまうなんて…

と、気がついたら、泣いていました……。

そして、母の葬儀の準備は正気に戻った 

姉と弟に全て任せて、
 
葬儀の終わりに僕が弔辞を喪主として、

挨拶をして、母の葬儀は終わった……。

しかし…それで終わりでは、なかったのた。

家に帰り母の葬儀に出てくれた人たちを送り

家の中に入り、酒を一杯飲んだところで

目の前が急に真っ暗になり、

意識が失った……。

あとで弟に聞いたら白目を向いて痙攣が

止まらず、かなり大変だったらしい。

しかし…そこで不運は

止まらなかったのだ……。 

要するに、救急車を受け入れず、病院を

たらい回しになっていたらしい。

ようやく受け入れてくれた病院でMRI検査を

してみたら、なんと眉間の裏側辺りに…

ゴルフボール大のデッカい腫瘍が僕の

脳の中に見つかってしまいました。😱

当然その病院で手術をする事は

できませんとハッキリ宣告され、

治療と手術の為に紹介された

東京医科歯科大学病院で後に

僕の脳腫瘍の状態を

的確に判断し手術で脳腫瘍を残らず、

摘出してくれた脳神経外科の
 
スミタ教授は僕の命の恩人なのです。

退院した後も…苦労や心配ばかりかけていて、

親不孝な息子だったのに…。喪失感と虚無感

だけが残り、仕事以外は食事の為の買い出し

以外は家に引きこもる様になった挙句、

母を失った喪失感と自責の念から酒に溺れて

鬱病になり、やがて…長年の間、

僕を苦しめる事になるアルコール依存症の

深い闇に堕ちていく事になってゆく。

結局、2016年から2021年の間、2度の

アルコール依存症専門病院のお世話になり、

完全に確信したことが1つだけあるんです。

アルコールはまず身体の解毒機能を司る  

肝臓を破壊して、

その後に脳に誤った司令を出して、

徐々に酒を欲し続けて、依存を作りだし、

アルコールが切れると離脱症状を出して

酒を要求する様になっていくのです。

覚醒剤の禁断症状の様に……。

母の死という………

計り知れないショックから逃避する様に

酒を浴びるように飲んでましたね。

酒に溺れて、転倒して、

圧迫骨折4箇所の重傷を負ったりと

地獄の5年間でしたね。今、思えば、

2020年12月に頻繁に目眩を感じる様になり

流石に慌てて、僕の命の恩人でもある

東京医科歯科大学病院 脳神経外科の

スミタ先生に相談しに行って

MRI検査を4年ぶりにしたら、

なんと50%位、再発してました。

後の検査で良性と判定されましたが…

必ず1年に1度1月末に毎年MRI検査を

する約束をスミタ先生と

交わしてきました。そこで一緒に、

受けた血液検査の数値、

特に肝臓の数値が肝硬変、糖尿病

レベルまで上がっていた。

そして、その次の日、

バケツ一杯の吐血をして僕は

ついに決断できた。

徹底的にココロと身体を

ある程度長い期間をかけて身体全身の検査を

受けて内科で内臓の病気を全て治療して

最後は2回目のアルコール依存症専門病院で

完全に依存していた酒を断つ覚悟をして、

2021年2月9日に両方の病院を 

治療する事ができる。

医療機関に入院する事になって、 

今現在、このブログを午後9時に 

消灯して、真っ暗な中

このブログを書いています。

皆さん⁉️アルコール依存症は、

自分の意思だけで

お酒を止める事が

できない奴とか思ってます⁉️

絶対に違います。

アルコール依存症は、 

脳が勝手にアルコールを

欲しがってしまう脳の病気なのです。

そして……ずっと酒を呑んでると

身体の解毒機能である肝臓を破壊し、

次に脳を破壊し、糖尿病になり、  

酒を買う金が尽きて、

生活保護になり、

それでも飲み続けていくと、

生活保護も切られ、

そういう方々だけがいく

隔離された施設で
 
身体の痛みに耐えながら、

孤独に死んでいくしか

無くなってしまう

恐ろしいココロと脳の病気なのです。

母の非結核型抗酸菌症の治療の主治医は

最後まで母に酸素ボンベでの治療を

させてくれず、挙句の果てにさっさと

挨拶なしで辞職して、どこかの病院へ

行ってしまった無責任な医者でしたが
  
化学療法研究所附属病院改め

国際医療福祉大学市川病院の看護師

様達には、本当に親身になって、

母の看護をして頂き、

本当に今でも感謝しております。

ありがとうございました。













レット イット ピー



サンサーラ