自分が飲み込んだネガティブな言葉を

ノートに書きだす

 

メンタルのことを勉強すると

比較的よく見る手法(だと思う)

 

何回かチャレンジしたことがあるが

続いたことがなかった

 

「自分が飲み込んだ」

という感覚が全くしっくりこなかった

 

少し前までのぼくのあたまの中は

朝起きてから夜眠るまで

ぐるぐるぐるぐる

人や状況やじぶんに対してまで

ネガティブな考えが渦巻いていた

 

そしてそれが日常で

当たり前のことだった

人生とはそういうものだと思っていた

 

だから

さて、今日飲み込んだネガティブな言葉は?

とノートに書こうとしたとして

朝から晩までぐるぐるしていても

毎日殆どおんなじようなことを考えているから

記憶にすら残っていない

 

誰について

何について

どんなふうに腹をたて

あたまの中で悪態をつき

そして自己嫌悪し

また腹をたて…

 

結果

今日もいつも通りだったな…

で終わってしまうのだった

 

でもある時

ひとつひとつをちゃんと分解していくと

こんなふうになった

 

父に対して腹がたったとき

今日のことは

いつもと同じようなことで

いつもと同じということは

今日“の”ことが特別腹立たしかったわけでなく

今日“も”であり

 

その場でなんかムカつくって思いながらも

特別なにかを邪魔されたわけでなくても

当たり前のように人を使うその態度に

後になって

「あぁ、今日“も”父はぼくの気持ちはお構いなしだった」

と気づき

 

父にとってぼくの気持ちなど

存在しないも同然なのかと悲しくなるけど

今更言えないということの

繰り返しだったと思い至る

そしてまた

あたまの中でぐるぐるがはじまる

 

その時の内容や言い方だけじゃなく

そういう扱い方をされるのが悲しかった

これに気づけたのは大きかった

 

ほんとうはこの過程を

ノートに書くことで辿っていくのだと思う

 

ぼくは家族以外の人であっても

何か頼まれたり

特に頼まれなくても何かをしなくてはいけない状況だと

なんかムカつきながらもやらないといけないと思い込み

それが当たり前だったから

いきなりそれを「嫌だ」と断ることはむずかしかった

 

けど

ムカつく

やりたくない

ということを表現することと

実際に頼まれごとをやる・やらないは

別でもいいなと思った

 

「それ今じゃないとダメなの?」

「え?ぼく一人でやるの?」

「ちょっと時間ないから途中までなら」

「手伝うくらいなら」

なんて角の立たない程度のことでも言いつつ

条件にあわなければやらなくてもいいし

出来る範囲だけでやってもいいし

最後までがんばってみてもいい

 

少なくとも

じぶんの気持ちを表現し

じぶんでやるやらないを決めれば

ずいぶんと気分が違ってくる

 

たったひと言だけで

ほんの少しだけでもじぶんを大切に出来るんだと

感じられたプロセスだった