Tのブログ

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今となってはだいぶ恥ずいポエム

Amebaでブログを始めよう!

はい。またガラスメンタルな心がくじけそうになったのでブログに来ました。

 

今日は区の創業センターで、創業に向けた勉強会に行ってきました。理由は勉強をしたのではなくてこの勉強会を受講することで法人設立時の税金?が半額免除(-7.5万円以上)になるからです。

 

この場では4回に渡り各方面から経営者をお呼びしてトークセッションを聞くというコース?なんですけど、そういった類のものは学生の頃から散々聞いてきたし「起業した方がいいよ!」とか「なぜ起業しようと思ったか」みたいな話は正直聞き飽きている(失礼)わけなので結構辛かったです。

 

でも受講者10名に対してのトークセッションなので中々贅沢ですね。

 

その後、まさかの交流会があるわけなんですけど、この交流会では何というか久々に気まずかったり、人とのコミュニケーションにおける無駄な気疲れを久々に感じていました。

 

何でみんな遠慮するんだよ

交流会ではビールなどのアルコールも振舞われました。夕方だったのでまだ仕事が残っている自分は「ノンアルにしようかな」と思ったのですがノンアルが3本くらいしかなく、先にトッピして(取って)しまっていいのか不安だった。

 

が、こう行った場面、やはりこういう場に来る人たちでさえ、皆日本人だった。

 

なんでそんなに遠慮するんだ。皆ビールや料理の机から離れ、かといって「先にどうぞ」「どれにします」と誰も声を周りにかけれない。いや、僕もコミュ障側だからそれに勇気がいるのは分かる。飛び込み営業なり学級員なり、人前に出ることになれてても僕も最初は勇気がいった。

 

けど、もうそろそろ、そういった日本人的な無駄な遠慮って変わろうよ!

 

もういいでしょ、そういうシャイとかいうの!

 

そんな気まずい空気感で皆で顔色を伺っても楽しくないじゃん!どうせ数十分後には皆で談笑してるんじゃん!だからもうよくないそういうの?

 

「配慮はするけど遠慮はするな」

 

僕の営業時代の上司から教えてもらった言葉だけど、何かやりたいことがあるときとか、最後に残った料理を食べたいときとか、こういった場面で日本人の多くは言い出せない。

 

そう行った時に黙って何もアクションしないんじゃなくって

 

「先にどうぞ!」とか「これ食べました?」とか声かけあおうぜって!

 

自分がして欲しいことはまず他人してあげるっていう原則を実践しようぜって皆んなに言いたい。

 

もういいでしょそんな文化。変わろうよ!

 

僕のアイデアどうですか

一方で今日は自分と似た生い立ちの経営者さんがきてたので、なんか親近感湧いて話に行ってみた。

 

が、結果これが一番(勝手に)精神的にダメージを受けたことだったんだけど、自分が今考えているアイデアを結構自信ありげにかたったのだが、それに対して「それいいね!やってみなよ!」とも「こういった場合はどうするの?」みたいな深い話に発展することもなく、「アイデアだけ聞いても分からない」「まぁやってみればという感じ」というお返事で、つまりは自分が期待していた答えと実際の答えにギャップがあって傷ついたわけだ。

 

「人に期待しない」と普段から気をつけているはずなのに、なまじ自分と生い立ちが似てただけに「この人なら共感してくれるかも!」という期待を抱いてしまった。

 

お答えいただいたことはもっともで、僕自身アイデアに価値はないと思っていて、実行や結果こそ全てであるというのはわかっているつもりである。法人を設立するための節約につながる今日の場に来ていることは実行の一つではあるとは思っているものの、プロトタイプがないとアイデアの検証をしたり、先輩に助言をもらったりすることすらできないなと再認識した。

 

今はCPF(Customer Problem Fit)と呼ばれる、自分が感じている(仮説として設定した)課題と、実際の想定カスタマーが抱えている課題が本当にあっているか(Fit)を検証するため、ペルソナやエンパシーマップと言われるフレームワークで検証しているのだが、それをもっと深掘りしてプロトタイプできたり、それがバズったりである程度の評判を得た段階でこの場にこいよというサインなのかもしれない。

 

講習室を出たら急に他人行儀かよ!

何かのイベントで仲良くなってきた人も、ひとたびその会場を出ると急に他人行儀になるのはなんでだろう。帰りのエレベーターの中、駅までの道のり、さっきまで話していたのに急に会場の扉をでた瞬間から他人行儀になる。

 

僕がその人たちに「関わりたくない」と思われただけなのかな。

 

別に「じゃあこのあと飲み行きましょう!」みたいな無理やりな意気投合は奇妙だし嫌いだけど、これから4週に渡って会うんだしもうちょっとこう社交的な挨拶とかあってもいいんじゃないの?

 

急に扉出たとたん他人で目も合わさずに、皆一定の距離をたもって一人で歩いて帰ってる。

 

そんなんなるくらいだったら、イベント会場でも無理な作り笑いとかしなくていいよ。社交の仮面をつけて会話してくんなよって思う僕は変でしょうか?

 

ちょっと言葉が汚すぎました。すみません。

 

いずれにしても学生の頃も、こういった起業に興味ある人の場にいっても、どこいっても人のこういう変な距離感や遠慮、気まずさには出会う。その度に違和感を感じる。

 

人と違った考え方をする人間はそれだけ可能性もあるんだろうけど、やっぱりビジネスの成功=人が関わるわけで、社会から自分のアイデアや事業が受け入れられなかったら成功しないわけで、人に理解されぬ者として辛さを抱えつつも、理解されるように努力しないといけない?…のかな。

 

最後よく分からなくなってきてまとめられなかったけど、とにかく今日は久々に心がつかれました(これくらいのことでどうする!)。

 

起業家はアイデアを否定され続けるらしいので、メンタル強く、というか自分のアイデアやビジョンを信じ続けて、強く、強く生きていきたい。

 

節分の日という運気の変わり目である今日、進路を決めるためと、恵方(今年は東北東)を高いところから見たくて東京都庁展望台にきた。


ここから見えるビルやマンションが人くらいの大きさに見えるほど「こんなにも人っているのか」と改めて驚く。

調べると東京都の人口は約1000万人。ここは南北では東京都の中央くらいに位置するので、ここら見える建物にいる人たちを合わせて1000万いくかいかないくらいだろう。

「日本一のWebサービスを作りたい」という夢を抱いたとき、「このカテゴリでは日本一」という括りであれば10万人に使ってもらえるサービスなら成功したと言えると思う(プログラミングのeラーニングカテゴリのProgateなどがそのくらいだ)。

しかし「インターネット・Webサービスという括りで日本一」といえば1000万人に使われるレベルになると思う。

となると、こんなにも大勢の人間から使われるような規模なんだと思うと、改めてそのすごさや背負う責任の大きさを改めて感じる事ができる(少なくともパソコンの前やSNS上にいるよりは)。

道に迷った時に高いところに来るのがいいのは、物理的な進路も精神的な進路も見通しやすいことと合わせ、「もし今首都直下型地震が来たら死ぬ」という死への恐怖感=生の実感を強く感じて、生きることの本質が見えるからかもしれない。

東京に住んだのはイベント参加や、ITとビジネスで日本最先端をその地で暮らして感じたいという目的からだったが、最近はそれも落ち着いてきた。

それよりも強い繋がりや味方(チーム)とともに安定した基盤作りをして、いよいよ社会に大きく打って出たい(事業を大きく拡大したい)ために、福岡に戻ろうと決めた。

おふくろや祖父母が、先祖の何たらを守るとか色々とやかく言われていたが、正直それはあまり考えていない。

霊魂は信じる派だけど、絶対にその土地で暮らさなければならないという縛りは、ちょっと僕には合わない。

しかし、福岡(佐賀)はやはり生まれ育った土地だけあって心理的な面でも心強い。

福岡は今、ベンチャーの誘致も盛んなのでそれらの機会に上手く乗って、2019年度大きく羽ばたいていきたい。


福岡に帰ることが決まったら、次はその地でまず最初に常駐フリーランスになるか、はたまたウェブ制作の請負を続けるのか、新たなサービスでスタートアップをやるのか、それを決めなければならない。

現状、まだこれというアイデアやどうしても解決したい課題を強く感じているわけではない。

ただずっと「情報の正確性」「情報へのアクセスの速さ」「顔の見える情報発信」には関心があるので、そこを解決できるようなサービスを展開したいとは思っています。

予定は5月に引越すのでいずれにしても生活家電や引越し費用の準備をしなくてはならない。