「あたしは、怖いです。お姉ちゃんみたいにここを出ていくのも、出ていかんのも」
「高校を卒業するまで、まだ五年もあるやない。ゆっくり考えたらええんよ。ほうや、あの手帳──あの子の標識番号が書いてある手帳は、そろそろ沙月ちゃんに預けようかな」
「え、でも……」
あの子ガメがこの浜に帰ってくるとしても、それは三十年後だ。そのとき自分がどうなっているか、姫ヶ浦にいるかどうかなどわからない。
「ええの」佐和が小さくかぶりを振る。「沙月ちゃんがどこにおっても、何をしよっても。持っとるだけでええのよ。あの子に付けたタグと一緒で、お守り代わり」
「お守り──」
「それにね。ほんまのこと言うたらわたし、あの子がもしメスでも、姫ヶ浦に帰ってきてほしいとは思とらんのよ」佐和は、砂浜を懸命に進む子ガメたちに目を落とす。「あの子だけやのうて、この子らも」
「どういうことですか」
「どの浜に帰るかは、カメさんたちが決めること。気に入った浜には帰るし、気に入らん浜には帰らん。保護したいとか、増やしたいとかいうても、人間はまだそこまでウミガメのことを知らん思うんよ。人間の考えるとおりには、なかなかならん」
佐和は顔を上げ、月明かりに浮かぶ浜をゆっくりと見渡す。
「残念なことやけど、今の姫ヶ浦からはもうじき、ウミガメはおらんになる。でも、浜はずっとこのままやない。いつか誰かが何十年かかけて、昔みたいなええ浜に戻すかもしれへん。反対に、もし姫ヶ浦が誰からも見捨てられても、何百年後かには浜も自然ときれいになっとるやろ。そしたらカメさんのほうで、勝手にこの浜を見つけてくれる」
「何百年後……」
「気の長い話やけどね」と佐和は笑った。「人間も、同じやと思うんよ。好きなことろで、気に入った場所で、生きたらええの。生まれた土地に責任がある人なんて、どこにもおらんのよ」
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『藍を継ぐ海』(著者:伊与原 新) より