この前の日曜日は上の息子の少林寺拳法、演武大会がありました。
息子は去年の12月から少林寺拳法を始めたので、ちょうど6ヵ月。
演武大会も初出場です。
演武とは武術の形を古式に則って演じることで、換言すれば、代々の相伝者が伝えてきた形を生身を以って再現することです。
なので、勝敗を決める試合とか競技とは本質的に異なります。
去年、息子に学ばせる格闘技・武道を探した結果、最終的に少林寺拳法に決めたひとつの理由が 「形」 にあります。
荘厳な太鼓の音とともに、開会宣言。
相対演武(左が息子です)
人数の都合で、別の拳士ともう一度相対演武
単独演武
ん~、ビデオカメラでの撮影がメインだったもので、静止画はちょっと寂しい感じ(笑
最後に優れた相対演武を演じた拳士たちが表彰され、閉会宣言。
初の演武大会を終えて戻ってきた息子に声を掛けようとしたら、涙ぐんでる!?
自分や嫁とは目を合わせようともせず、そのままスタスタと一人で帰ろうとしている??
ははーん、なるほどな。
「表彰されなかったので悔しかったのか?」
「・・・」
図星だ。
上の子は昔から運動に対して苦手意識が強く、自転車に乗るのも、鉄棒をするのも、最初につまずくと 「もうできない!」 と、すぐに諦めてしまう傾向があります。
往々にして、なだめすかしたり、発破を掛けたりして、ヤル気にさせることが多く、何とかできるようになると自信もついて頑張れるのです。
でも・・・。
「頑張ったのに、どうせ認めてもらえないんだ!」
「悔しいのか?」
「悔しいよ!」
「その気持ちはすごく大切だし、そう思うことはいいことだよ。でも、表彰された子たちの演武をちゃんと見てたのか?」
「見てなかった・・・」
息子は自分の演武が終わったあと、安心したのか他の子と遊んでいたのです。
「パパはちゃんと表彰された子たちの演武を見てたけど、ゆうき(息子の名前)よりもっと上手かった。悔しいと思う気持ちは大切だけど、どうして選ばれなかったのか考えてみろ」
「でも頑張ったのに・・・」
「ゆうきは頑張ったよ。頑張ったし、ちゃんと演武もできていた。でもね、表彰された子たちと一緒に練習していてどう感じる?」
「みんな僕より上手いし、ちゃんと教えてくれる」
「だから表彰されたんだよ。ゆうきはまだ半年しか練習していないけど、みんな何年も一生懸命練習してうまくなったんだよ。うまい人をもっと観察してごらん」
勝敗が明確な格闘技では技術の差が歴然として自信喪失につながりかねませんが、「形」 を主体とした武道であれば、いつかは努力が実を結ぶ気がして、息子に適していると思っているのです。
周りと自分とを見比べられるようになり、それでも悔しいと思えたときこそ、上達していることでしょうね~。



