片野です。最近は異端派の経済学からはいったん離れて、公共経済学とかハイエク、ブキャナンの経済思想などを読んでます。ハイエクが主流かと言われたら、どうなんだろう、そもそも主流とは何で、異端とは何だ?という話ですが…。
今回は読書感想文の第4弾ですが、扱うのは第二章の後半です。前回の話を振り返ると、MMTでいう通貨とは主権国家の計算貨幣で、民間経済主体は自らに課せられた租税債務を履行するために、この通貨を需要する。実物財の交換で発生する決済の必要から通貨は利用されるが、これは二次的なものである。そんな話をグダグダ書きました。あ、実物財の交換だけとは限らないかな…?
それではしまっていきましょう。しこっていきましょう。
4:人々が自国通貨の受け取りを拒んだらどうなるのか?
この段落では、主権国家の通貨を、民間の経済主体はどの程度受け取るか、という話をしています。租税債務を履行するために通貨を需要する経済主体は、当たり前ですが、少なくともその租税債務と同額の自国通貨を需要します(トートロジーっぽくなりました)。加えて、これも日本のような、高度に貨幣化された先進国に住んでいれば普通の感覚ですが、租税債務さえ履行できればそれ以上の額の自国通貨を受け取らない、なんてことはなく、ほとんどの人が納税額を超えて自国通貨を需要します。
ちなみに。この段落ではMMT独特の概念として「通貨に対する需要」が出てきます。主流派マクロ経済学の「貨幣需要」とは別の概念です。僕も記憶があいまいですが、貨幣需要って確か2種類くらいありましたよね。取引需要と…、なんだっけ、投機的需要?予備的需要?忘れた…。とにかく、MMTで言うところの貨幣需要は独特で、租税債務を履行するために受け取ろうとする性向の程度を意味していると思います。
話を戻します。上で上げたような先進国に対して、民間取引で外貨が好まれる途上国について考えます。ある国家を想像してみます。この国家ではインフォーマルセクターと脱税・節税がかなりの程度存在しています。
インフォーマルセクターはフォーマルセクターと同程度の規模のため、統計的に計測されるGDPは半分だとします(フォーマルとインフォーマルで1:1なわけですね)。 …ⅰ
次に脱税の存在です。政府は計測されるGDPの1/3の額だけ課税するとします。しかし脱税が横行しているために、GDPの1/6の額しか徴税できないとします。 …ⅱ
上記のⅰとⅱから、政府は結果的に、本来のGDPの1/2×1/6=1/12しか徴収できないことになります。つまりこの国家では、民間主体の通貨に対する需要の下限は、GDPの1/12程度にとどまってしまいます。
上記のような国家でも、おそらくは租税債務の額よりは自国通貨を需要することはあるでしょうが、やはりインフォーマルセクターと脱税が存在しないケースよりも財政政策の余地は小さくなってしまいます。租税債務を超えて政府が支出をしても、民間の経済主体は受け取ってくれないかもしれない。これを受けて政府支出の額面だけ釣り上げても、単にインフレを起こすだけかもしれないと考えられます。
これは僕が日本に住む人間だから感じたことなんですが…。日本ってインフォーマルセクターの存在とか、マクロ経済に影響を及ぼすレベルの脱税がないじゃないですか(僕が知らないだけかもしれまんせが)。だから上記のギリシャの例がいまいちピンとこなかったんですよね…。
あともうひとつ。この本を読むうえで念頭に置いておいたほうがいいと思う、「政府支出」という行為に対する見方なんですが、主権を有する政府の自国通貨の発行には、「民間部門の資源を政府部門に移すという目的」があるわけです。当たり前のように聞こえるかもしれませんが、いまいち社会経験に乏しい片野にとっては、この考え方は最初はぴんと来なかったんですよね…。例えば公共投資なんですが、あれって実際受注して事業を行うのは民間の経済主体じゃないですか、でも何となく政府という組織が徴収した税金を使いながら、政府の人間が事業を行う、みたいなイメージありませんか?そう思うのは俺が子供なだけ??とにかく、公共投資の例でいれば、政府は自国通貨を発行して、民間部門(たとえば土木・建築業者)の資本や労働といった「資源」を、公共目的の達成のために政府部門に動かしている、という行為なんですよね。その見返りとして、自国通貨を支出、民間部門に受け取ってもらってるわけです。