写経します。
第一章 黎明期
ドイツ政治経済学の第一段階を左右したのは2系列の思想である。それは官房学と重農主義である。官房学者は、行政と管理における実践的経験を知的関心に結び付けようとする人々であった。社会的地位からいえば、彼らには高級官僚、法律家、哲学者、神学者、自然科学者および歴史学者が含まれており、こうした人々によって官房学に広い視野がもたらされえたのである。
(官房学は、「絶対主義的国家統治、特に行財政に関する学問。富国作を中心とする財政・行政・経済政策などに関する思想体系。カメラリズム。」とのこと。公正な行財政や効率的な行財政を目標とし、行財政について研究する学問です。)
(Wikipediaから引っ張ってくると、「官房学は今日の行政学、経済学・財政学にほぼ相当する内容を持つが、実際にはそれよりもはるかに広範な経世論・政策論的領域を対象分野としている。」とのこと。)
その結果、まさにその開始から、経済学がその他の個人生活や社会生活といった諸相から切り離されることのない総合的視野が存在したのである。黎明期から、彼らの著作に根を下ろしたのは抽象論的様式よりも実利的様式であった。
(実利的とは、現実の利益になるさま、実際上の利益を得ようとするさま、ですって。)
第2系列の重農主義は、官房学的アプローチの過剰とみなされたものへの反発を表していたし、ドイツ的思考が古典派的自由主義政治経済学の影響を受けることを可能とするための重要な橋渡し役を果たした。重農主義はフランスからドイツの思想にまで浸透していったのであり、そうして、土着的性格を持っていたドイツの政治経済学も、他国で発展・適用された思想をこれまで以上に正しく評価するようになったのである。
(政治経済学、という名前、マーシャル以前の経済学的な研究を総称した名前らしいです。ポリティカルエコノミー。豆知識として、初めてこの呼称をつくったのはA.モンクレティアンさんらしいです。初めて聞いたな~。ポリティカルという形容は、研究の関心が国家をはじめとする公共団体の政策の問題にそそがれるということを含意している、らしいです。)
(重農主義とは、「国家、社会の富の基礎は農業であるとする経済思想。」とのこと。「重農主義者は経済危機に瀕したフランスで農業のみが生産的であるとし、農業からの剰余及びそれに対する単一課税によって経済を再建することを主張。」)
1 官房学
ドイツの政治経済学の歴史的起源は、神聖ローマ帝国に存在した特殊な状況によって重商主義の個性的形態である官房学が、すなわち「他国においてはその対応物が見られないようなドイツの社会経済学における変種」が生み出された中世ヨーロッパにまでさかのぼる。
(社会経済学も、ポリティカルエコノミーって言うんだよね…。違いは何なんだろう。社会経済学とは、経済過程を、独立のものとしてではなく、政治的、社会的そして文化的な過程との相互作用のもとにあるものとして扱う経済学。んーわからん。)
君主諸国の財務官庁において経済の行政・管理に関する諸原理の体系が独自に発展してきた当時、こうした体系をまとめた者が官房学であった。もっとも、官房学はそこから出発したとしても、徐々に国家機構全体に言及するに至った。官房学は行政全般の慣習的原理となり、そうしたものとして財政や法を含んでいたし、また資源開発と技術開発をめぐる技術的事柄をも含んでいた。一般に官房学者たちは合理的な経済成長を力説するのであり、しかも彼らによれば、その合理的な経済成長は適切な環境に依存し、またその環境を創出し維持することは国家の義務なのである。
(俺歴史にまったく明るくないからわからないんだけど、こういう国家機構に経済政策的な役割を持たせるの、官房学がはしりってことなのかな。)
歳入増加の方策の考案、財政構造の適正なあり方の発案、国民的貿易差額を有利にする政策の構想、失業防止を目的とした新技術の規制、以上のような純粋の経済政策が、人口の増加の症例や国民的統一の促進をめぐる社会政策と結びつけられた。
(ん~~~、歳入増加を目指したり、貿易赤字を減らそうとしたり、失業防止のために新技術を規制したり、ってのはちょっと…。現代の経済学では否定されてる話のような気がする。あ、でも歳入増加は今も主流か。)
もっとも官房学は、重商主義と多くの類似点を持つとはいえ、重商主義と完全に同一物ではない。例えば、官房学者の諸著作においてかなり共通して見出されるのは富が人口とほぼ同じものであるとすることであるが、他方、重商主義の文献においてしばしば示唆されるのは貨幣と富の同一性である。また重商主義とは対照的に、官房学は産業的中央集権化を通じての商業の拡張をそれほど強く力説したわけではない。
(重商主義、国際経済学でやったなー。「輸出超過による金銀の流入が国富の増大のために不可欠であり,この結果を得るために貿易の統制が必要であるとする貿易差額説を理論的中核とする。」。でもこれ、経常収支の黒字は必ず資本収支の赤字でファイナンスされるんでしょ、現代では当てはまらないという認識でいいのかな。)
以上述べたことから、官房学の扱う対象範囲が今日の政治経済学ないし国民経済学のそれよりもはるかに広いことは、明らかである。
(なんやねん国民経済学って…。新しいの出てきたな…。「歴史学派経済学は国民経済学とも呼ばれるように,その考察の対象は,〈国民〉,とりわけドイツ〈国民〉の経済である。」らしい。他に何があるんだろうか。スタートが重商主義とか、国際経済学から始まってるから、こういう考え方があるってこと?)
官房学が現れる前、ドイツ諸国の経済思想は、個人の経済的行為の倫理的意味を主に強調するローマ・カトリック教会の神学的教説と基本的に一致するものであった。初期封建制タイプの非市場経済がとりわけ好ましいとされた。商取引と利潤動機は神学者によって軽蔑されたし、借金に対して利子を支払わせることも暴利をむさぼることと見なされた。経済をめぐる主要な議論も公正価格・金融業務・公信用といった諸問題に関するものであった。
(これは、何回か聞いたことあるな…。利子は悪。)
経済思想の志向における最初の著しい変化は宗教改革とともに現れた。この運動は、初期ルネサンスの人文主義とあいまって、経済学の分野をも含めてすべての教会的伝統に圧力をかけた。人文主義の批判精神によって権威主義的な宗教的教理が根底から掘り崩され、生活の精神的理想が取り払われて物質的理想が好まれた。人文主義は世俗的関心を宗教的関心のうえに置いたし、また人間の幸福こそ最も重要なものであって、文学・芸術・学問はすべて人間の幸福のために奉仕せねばならないとした。
(人文主義を知らないと、まったく理解できん文章。というか、世界史まったくわからないから、何を言っているのか全然わからない。人文主義は、「人間性の尊重,人間の解放を目指す思想,態度。」、へえって感じだ。)
個人ではなく共同社会(コミュニティー)に注意が向けられ得るように移り変わっていき、公共の福祉をめぐる問題が重視されていった。その当時、思想家たちは古代ギリシア=ローマの統治形態を研究して、古代的理想の方向に沿って封建社会を改革する方法を考え出そうと試みた。宗教界飼うはもともと宗教的な運動であったとはいえ、その過程は政治的・経済的諸要因と人文主義思想とによって大きく影響されたのであり、このようにして、重商主義勃興のための土壌と官房学につながる観念とが準備されたのである。
今日はここまで。