旧統一教会の報道を見ていて、なるべく中立の考え方をとるようにしていますが、どうして献金にむすびつくんだろうと思います。
神慈秀明会も、すべての考え方が間違っているとは思いませんが、献金に結びつくところがどうも強引で腑に落ちません。健康で献金できた信者の喜びをほかの信者に伝えています。そんなこと言うと献金できなかった人は負い目を感じます。その信者の胸の内におさめておくべきでしょう。あしながおじさん、タイガーマスクは正体を隠すところに美学を感じます。献金できなかった人はこの先どうなるのでしょうか?
本部の立派さ、美術館の立派さ誇って信者獲得にまい進するよりも、信者無関係で貧しい人を救うために施し続けた結果ボロボロになった本部の方が私はリアルに感じます。
貧しい、恵まれない、希望を失った人を救うのが本物の宗教だと思っています。
献金なんて全く考えず、信じる心を大切にしてほしいものです。