欧米人がモデルをしていたら無条件でカッコよく見えてその服が欲しくなるアレ、を最近克服しました。ユニクロやGUでは見ず知らずの外国人モデルにつられて壁を這うように歩いていましたが、今ではまっすぐ前を向いて歩けます。成長を感じることはとても気持ちの良いことです。

全くマナーのないおっさんているじゃないですか。電車で股を大きく開いて座ったりするあのおっさんのことです。急に一人で大声コンテスト始めたのかと思う勢いでくしゃみするおっさんでも合ってます大丈夫です。僕はあのおっさん達にはなりたくないと思って生きています。あのおっさん達を目にすれば反面教師として、自分がそこに近づいてしまっていないかを常に確認しています。父が毎朝洗面所で「クゥワアッ ア゙ッ」をする度に自分が成長している気がします。ありがとう父さん。

小学校にあがる前くらいに、家族でディズニーランドへ行きました。2個上と4個上の姉と両親、5人でのお出かけでした。まだカーナビが車についておらず、地図を見ながら車を進めていました。助手席に座るペーパードライバーの母はインターチェンジのこともよくわからず数キロ先の出口を永遠と言い続け、ハンドルを握ると少しだけ性格が悪くなる若き父はしかめっ面になり、後部座席に座る恐竜三体が喚き散らし続けるという地獄のワンボックスカーが生まれてしまいました。そしてガラスの三半規管を持っている僕はすぐに車に酔い激混みサービスエリアによりました。僕は幼いながらに思いました。「このお出かけは、ずっと楽しい時間になるやつじゃないな」と。その後案の定道に迷い、父と母の責任のなすりつけあいも落ち着きようやくディズニーランドにたどり着きました。グロッキーな僕は父と、母は姉2人と行動することになりました。姉といてもすぐ喧嘩になるしお父さん子だった僕はそれが最善だと思いました。
ハンドルを握ると性格が悪くなると言いましたが、父はとても優しい人です。ほとんど怒ることは無いしわがままも聞いてくれます。パーク内ではお菓子も色々買ってもらってとても満足でした。
○○時に決められた集合場所で会おうと父と母で約束していたらしく、向かうことになりました。父と僕は血が繋がっているので、父は地図を見ようとしませんでした。目的地に向かう時だけ、入園の時に1度地図を見ただけで全ての場所を把握出来る天才だと勘違いをしてしまう機能がついているからだと思われます。親子です。そして迷う父と振り回される僕。母からすれば、限られた時間をめいっぱい楽しみたいのに待ち合わせという無駄な時間を過ごさなければならないのか。イライラしていたことでしょう。
ようやく合流できたところで、僕はまたポップコーンが食べたいとわがままを言ってしまいました。並ぼうと言ってくれる父と、ここは混んでるからあっちにしようと言う母。軽い言い合いになってしまったので、僕はやっぱりいらないと言いました。目を離せばすぐにどっか行ってしまうとうな子どもでしたが、自分のために争って欲しくはないというヒロイン要素も持ち合わせていました。でも何故かここで買おうという父。雰囲気が悪くなったまま、結局母と姉を待たせてポップコーンを買うために並ぶことにしました。
父はとても疲れていたのでしょう。姉のぶんも買うように頼まれていたにもかかわらず忘れてしまいました。姉は怒り母は呆れ、もう最悪の雰囲気でした。こりゃいかんボクがなんとかしなきゃいけないといきり立った琢朗少年は変な顔をして父と母を笑わせようとしました。結果的に夫婦喧嘩に発展してしまい僕は二度と両親の前で変顔はしなくなりました。せっかくのディズニーランドなんだから落ち込んでないで楽しまないと、と思ってちょっとスキップしようとしたら、転んでポップコーンをぶちまけてしまいました。怒られました。その後のパーク内の記憶はありません。
帰りの車で、静かになった僕に「また酔ったの?」と母が心配してくれていましたが、誰よりも覚めていました。


だいぶおっさんの話から逸れてしまいましたが、僕が言いたかったのは寂しい思い出話ではなく父のデリカシーの無さです。父は母が怒ってもだいたい気にしません。女はそういうもん、とでも思っているのでしょうか。その辺は血が繋がっていないので分かりませんが。ふとディズニーランドの思い出が蘇った時に、父と同じになってはいけないと思い、僕は恋愛心理学の本や子育てのエッセイなんかを読みまともな人間に近づくことが出来ました。過去から学ぶことはとても大事です。


デリカシーはマナーと違い、自分で気づくことが難しいものです。間違った知識を持ったままおっさんになってしまうことがないように気をつけたいものです。おっさんは学べません。おっさんは気づけません。おっさんには未来がないのです。
僕らはまだおっさんではない。僕らが紳士になるには、そういった問題に真摯に向き合っていかなければならないのです。








最後のまとめ方がめちゃくちゃダサいですが、中2の時の僕のファッションよりはマシです。サトシが使っていたような指先穴空いてる手袋が最強だと思っていました。過去になって良かったです。





2020年も早いことに1ヶ月半が過ぎてました。
みなさんはいかがお過ごしでしょうか。

寝てないアピールと同じで、とてもダサいというのを承知で申し上げると、僕は今花粉でとても辛いです。鼻の穴の奥が腫れて腫れて常に痛みを生じています。薬を飲めば和らぐのですが、まだ2月半ばという時期に本気を出したくないのです。今年の花粉シーズンはまだ始まったばかりです。いきなり薬漬けになって後半に薬の耐性が付いてしまって効かなくなってしまったらどうしようと考えると怖くてたまりません。道に迷った時でも来た道を引き返したり地図を確認したりしない僕の身体ならきっと、「花粉くらい自分でなんとかしてやる。薬なんか効かせるか」と働きかけてしまうことでしょう。絶望しかありません。

この時期の僕はかなり機嫌が悪いです。こっちから言わないとレシートを渡そうとしないコンビニ店員にもイラつくし、狭い道をすれ違う時にほんの気持ち程度にしか避けない人にもイラつきます。はらだいこしたカビゴンのダイアタックくらえばいいのに。(ポケモン分からない人用に解説すると、3回半くらいぶっ飛ばすぞと言ってます)なんでこんなに弱ってる時に敵を作ろうとしちゃうんですかね。不思議でなりません。でも疑問には思いません。攻撃あるのみです。目の前に立ち塞がるものは、いや、立ち塞がっていなくてももう敵と認識したものにはぶち当たっていけばいいのです。

全然関係ない話ですが、小学一年生の頃に「好き嫌いとかないしオレなんでも食べられるから」と言っていたクラスメイトに「じゃあ校庭行ってアリ食べてこいよ」と言ったら担任の先生にめちゃくちゃ怒られてギャン泣きしたこともありました。


あとこれだけいつか書きたかったのでここに書いときます。2019年で1番面白かったのは、アベンジャーズエンドゲームの応援上映を4DXで観たことです。10年続いたMARVEL作品の集大成と言えるこのアベンジャーズエンドゲームは、本当に素晴らしい作品でした。期待に期待をよせても尚、それを上回ってくる面白さがまあすごい。この映画は映画館で2回観ていて、応援上映は2回目に観ました。応援上映は、映画中でも拍手したり声をあげてもいいのです。そういうのに邪魔されたくないので避けていましたが、2回目だし内容知ってるしいいか、と思って入ってみました。映画が始まったら、うわぁ!ああーっ!いけー!なんて声が飛び交うのだろうかと思っていましたが、実際はそんなこともなく誰一人として喋ったり音を立てたりすることはありませんでした。普通の上映と変わらなくてよかったなあと思っていた中、エンドロールが流れ始めた時に1人だけ拍手を始めた人がいました。MARVELシリーズに出演してきた俳優たちとそのサインがひとつずつ順番に出てきて、本当に幕引きなんだなあと思わせる感動するエンドロールだったのですが、ずっと我慢していただろうと思われるひとりが拍手し始めたのです。でも誰も拍手に続く人がいない。応援上映なのに!これまでずっとタイミング見計らってて、でも誰も何も言わないから何も出来ず、ここだって思ったタイミングで勇気を持って拍手し始めたのにみんな無視!めっちゃかわいそう!めっちゃかわいそう!!この4DXの応援上映をすごい楽しみにしてきて、内容にも感動して、ありがとうMARVELなんて想いを込めて拍手したのにだーれも反応しない!この日のために前日ちょっと早めに寝てたかもしれないのに。学校か職場のMARVEL仲間に「今度やっとエンドゲーム観に行くんだ。しかも4DXの、応援上映のチケット買っちゃった。めっちゃ楽しみ!」とか話していたかもしれないのに。MARVEL公式アカウントとツイートとかいいねしまくって、当日の朝には「今日観てきます!どうなるんだろ〜!!」とかリプ送ってたかもしれないのに。エンドゲームに合わせて今までのMARVEL全部借りて復習していたかもしれないのに。文字だ途中から若干拍手の音が大きくなってきてもう「だれかたすけてだれかおねがいいっしょにはくしゅしてくれ」って言ってるように聞こえてきた。拍手が人の声に聞こえたのは初めてだった。その感動演出のエンドロールが終わる前に、拍手は止まってしまいました。悲しい!!!途中で力尽きた!!!その拍手が止まった瞬間、僕が観た最高の映画が決まりました。その後に流れた文字だけの通常のエンドロールを、拍手人はどういう気持ちで観ていたんだろうか。全ての想像が全て面白い方向へ転がってくれる最高の体験ができました。やるせない気持ちになってその日の夜は星を見上げたりしていたのだろうか。そして拍手をしたその手で星を数えたりしていたりして。クロワッサン食べる時に食べカスがこぼれないように拍手したその手で落ちないようにしてたりして。もしかしたらもう二度と拍手できなくなってしまったかもしれない。というかあの後に拍手ができるルートなんて存在しないと思う。悲しいことかもしれないけど、人生最高の拍手が出来たことを誇りに思ってほしい。今でも満員電車でふと思い出して笑ってしまいそうになる素敵な拍手ができる人なのだから。




僕は今花粉症で少しだけ心が荒んでいます。そこだけどうか覚えておいて欲しい。




今年、初めて彼女ができた。僕にとってはとても嬉しいことであるが、他人からすればどうでもいいニュースだ。

「なんで彼女いないの?」

この歳になるまで彼女がいなかった僕はこの言葉に苦しめられていた。どこに行ってもだいたい聞かれるこの質問。なんて答えればいいのか正解が見つからない。彼女がいることに理由があっても、いないことに理由なんてないのだ。恋人がいる人は普通に付き合ったよなんていうが、それは僕にとってそんなのは日常じゃない。ご飯食べてたら彼女が出来たり、雨とともに彼女が降ってきたり、買い物してレシートと共に彼女を手渡されたりなんてことはない。僕にとって彼女がいないのが当たり前で、この世界に僕は生きている。この世界にも花は咲くし虹はかかるし星は瞬く。それでいいじゃないか。どうして「なんで彼女いないの?」なんて聞くんだよ。聞く前によく考えろよ。考えられないなら感じろよ。いや、やっぱり彼女がいない理由を感じられるのは嫌だ。考えろよ。

いないですよ、なんて答えるけれど、それがまたつらい。彼女いないことに全く寂しさは感じていないと思っていなかったのに、「いないですよ」と言葉にするとつらくなる。ああ、僕は彼女がいないんだなあ。ああ、本当は彼女いないのが寂しいとおもってるんだなあ。惨めになる。友だちとアホみたいにはしゃいでた時も、いい作品に触れて感動してるときも、奮発して高いスニーカー買っちゃったときも、僕には彼女がいなかったんだなあ。もうめっちゃアホじゃん僕。彼女いないくせに何をのうのうと生きているんだ。今までどんな顔して生きてきたっけ。自覚とは怖いものである。これまでそれなりに幸せだった当たり前を一瞬にしてひっくり返してしまう。美味しそうなホットケーキをひっくり返してみたら裏面が丸焦げだった。

そんなかわいそうな僕にもとうとう彼女ができた。まだ出来てもいなかった彼女を憎んでいた僕は過去に捨ててきた。この先、彼女がいるかどうかを聞くような愚かなことはしないだろう。やめよう「なんで彼女いないの」。聞くなら脈があるときだけにしよう。そして最後に褒め言葉を添えとこう。いないとわかったら理由を聞くのはやめよう。どこかに著しい欠点があるのだ。いや僕は無かったけどね。タイミングだよね。