元気になりました。
コメントを頂いた皆様。ありがとうございました。
本当に昨日はきつかったです・・・
風邪はしっかり治さないとぶり返した時大変ですね。
皆様もどうかお気を付け下さい。
今日は、パチンコを始めた頃の思い出を書きたいと思います。
私がパチンコを始めたのは1994年の春でした。
私は渋谷によく行ってた関係で、渋谷のパチンコ店が初めてです。
今は変わってしまったと思いますが、当時井の頭線の駅の近くに5軒ほどホールがありました。
そこのエリアの雰囲気は、昭和の匂いを残した「大人」の感じでした。一歩、表の賑やかな通りに出たら、コギャ
ルやチーマーが闊歩しているのに、そこは年齢層が高い人たちばかりでした。
私が初めて入ったホールが○拓さんです。
ホールの雰囲気は今ではモダンなのでしょうけど、昔の感じが残っていました。
当時は現金機のデジパチが主流で、私は一緒に行った友人の勧めで、
「グレイス」(大一商会)
でした。大当たりすると3分の1で電チューの確率変動があったと記憶しています。その確変は絵柄ではなく、内
部で決まっており、打ち手には判らなかった気がします。違ったらすみません。
ビギナーズラックというやつでしょう。
そんなに使うことなく、大当たりが引けました。
1箱か2箱か記憶はしていませんけど、換金をする事になりました。
事件はそこで起きました・・・
友人が換金してくれると言うので、景品を友人に預け一緒にホールを出ました。
「換金所こっちだよ。」
声をかけてきた人の案内で行った換金所で一緒に換金。
友人が・・・
「あれっ?」
「どうした?」
「3000円しかない・・・」
当時の私は「換金率」というものが判らなかったので、友人が言っている意味が判りません。
何だか怖そうな雰囲気だし・・・
18歳の小僧には聞く勇気もありませんでした。
しばらく経ってから、本当の換金所の場所を知りました。
今の子達はこういう経験ないんだろうな~
きつ過ぎる・・・
どうも、takuroです。
先週の風邪がどうやらぶり返してしまったみたいで、ものすごい倦怠感と関節の痛み、悪寒に襲われており
ます。。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。
コメントやペタのお礼をしなければならないのですが、これを書くので精一杯です。
こんな形で本当にごめんなさい・・・
元気になりましたら、改めて皆様の所へお伺い致します。
では、今日はこれにて失礼致します。
モーニング
今日は久々に
「ラブリージャグラー」
を打ちました。結果は何とかプラスにする事が出来ました。
打ちながら、思い出していた事があります。それは・・・
今から12,3年前の話です。
当時は「モーニング」全盛の時代でした。
私が出没していたお店でも、モーニング狙いの若い子が多くいました。
ちなみに私はモーニングを狙っていませんでした。理由は・・・
当時は整理券や抽選などなく、10時の「軍艦マーチ」と共に一斉に猛ダッシュです。
押し合いや引っ張り合いは日常茶飯事です。
危ない危ない。\(*`∧´)/
そして、1枚掛けのカニ歩き・・・(゜д゜;)
だから、私はモーニング争奪戦には参戦していませんでした。
そんな私でも、新装開店の時は別でした。
ある6時オープンの新装開店で、今では考えられない光景を目にしました。
新台は「ジャグラー」です。
軍艦マーチと激しいマイクの中、必死の形相でダッシュした先にあったのは・・・
「全ペカ」
( ゚-゚)( ゚ロ゚)(( ロ゚)゚((( ロ)~゚ ゚
そうです。全台モーニングってやつです。
薄暗い店内。1シマ20数台から紫色の眩い光を放つ光景は今では決して見られません。
当時は「大量リーチ目」全盛の時代です。こういった完全告知の台は否定気味な風潮だったと記憶して
います。あったとしても、告知ランプが切られているお店が結構多かったです。
個人的には「サーカス」や「クリエイター7」といった北電子の台は好きでした。
あの独特のテンパイ音も最高です。
告知と言えば「ザンガス」もありました。
そんな事を思い出しながら、「GOGO」ランプを見つめていました。
懐かしい4号機初期の思い出でした。