BLUE SEVEN -14ページ目

元気になりました。

コメントを頂いた皆様。ありがとうございました。


本当に昨日はきつかったです・・・


風邪はしっかり治さないとぶり返した時大変ですね。


皆様もどうかお気を付け下さい。




今日は、パチンコを始めた頃の思い出を書きたいと思います。


私がパチンコを始めたのは1994年の春でした。


私は渋谷によく行ってた関係で、渋谷のパチンコ店が初めてです。


今は変わってしまったと思いますが、当時井の頭線の駅の近くに5軒ほどホールがありました。


そこのエリアの雰囲気は、昭和の匂いを残した「大人」の感じでした。一歩、表の賑やかな通りに出たら、コギャ

ルやチーマーが闊歩しているのに、そこは年齢層が高い人たちばかりでした。


私が初めて入ったホールが○拓さんです。


ホールの雰囲気は今ではモダンなのでしょうけど、昔の感じが残っていました。


当時は現金機のデジパチが主流で、私は一緒に行った友人の勧めで、


「グレイス」(大一商会)


でした。大当たりすると3分の1で電チューの確率変動があったと記憶しています。その確変は絵柄ではなく、内

部で決まっており、打ち手には判らなかった気がします。違ったらすみません。


ビギナーズラックというやつでしょう。


そんなに使うことなく、大当たりが引けました。


1箱か2箱か記憶はしていませんけど、換金をする事になりました。


事件はそこで起きました・・・


友人が換金してくれると言うので、景品を友人に預け一緒にホールを出ました。


「換金所こっちだよ。」


声をかけてきた人の案内で行った換金所で一緒に換金。


友人が・・・



「あれっ?」


「どうした?」


「3000円しかない・・・」



当時の私は「換金率」というものが判らなかったので、友人が言っている意味が判りません。


何だか怖そうな雰囲気だし・・・


18歳の小僧には聞く勇気もありませんでした。



しばらく経ってから、本当の換金所の場所を知りました。


今の子達はこういう経験ないんだろうな~




きつ過ぎる・・・

どうも、takuroです。


先週の風邪がどうやらぶり返してしまったみたいで、ものすごい倦怠感と関節の痛み、悪寒に襲われており


ます。。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。


コメントやペタのお礼をしなければならないのですが、これを書くので精一杯です。



こんな形で本当にごめんなさい・・・



元気になりましたら、改めて皆様の所へお伺い致します。



では、今日はこれにて失礼致します。



モーニング

今日は久々に


「ラブリージャグラー」


を打ちました。結果は何とかプラスにする事が出来ました。


打ちながら、思い出していた事があります。それは・・・



今から12,3年前の話です。



当時は「モーニング」全盛の時代でした。


私が出没していたお店でも、モーニング狙いの若い子が多くいました。


ちなみに私はモーニングを狙っていませんでした。理由は・・・


当時は整理券や抽選などなく、10時の「軍艦マーチ」と共に一斉に猛ダッシュです。


押し合いや引っ張り合いは日常茶飯事です。


危ない危ない。\(*`∧´)/


そして、1枚掛けのカニ歩き・・・(゜д゜;)


だから、私はモーニング争奪戦には参戦していませんでした。



そんな私でも、新装開店の時は別でした。


ある6時オープンの新装開店で、今では考えられない光景を目にしました。


新台は「ジャグラー」です。


軍艦マーチと激しいマイクの中、必死の形相でダッシュした先にあったのは・・・





 

  「全ペカ」



  ( ゚-゚)( ゚ロ゚)(( ロ゚)゚((( ロ)~゚ ゚




 そうです。全台モーニングってやつです。



 薄暗い店内。1シマ20数台から紫色の眩い光を放つ光景は今では決して見られません。



 当時は「大量リーチ目」全盛の時代です。こういった完全告知の台は否定気味な風潮だったと記憶して


います。あったとしても、告知ランプが切られているお店が結構多かったです。


 個人的には「サーカス」や「クリエイター7」といった北電子の台は好きでした。


 あの独特のテンパイ音も最高です。


 告知と言えば「ザンガス」もありました。



 

 そんな事を思い出しながら、「GOGO」ランプを見つめていました。



 懐かしい4号機初期の思い出でした。