BLUE SEVEN -13ページ目

沢田研二

本日2度目になります。


「クランキーコンドル」


についてではなく、ジュリーこと沢田研二について書きたいと思います。



ジュリーは今年60歳になりました。


「最もセクシーな男」に選ばれた人も赤いチャンチャンコです。∑ヾ( ̄0 ̄;ノ


多くの方が想像される沢田研二は、70年代から80年代前半の頃だと思います。




私もその頃好きになりました。と言っても、幼稚園に上がる前です。


毎日のようにテレビで彼を観ていて、マネもよくしていました。




母親も「ザ・タイガース」時代からのジュリーファンだったという事もあって自然に好きになっていったと思います。



それ以来、私はジュリーが好きなのですが、好きな理由として一番なのは歌う事に対しての「こだわり」です。


彼はあまりテレビには出ません。


以前から彼は頑なに「懐メロ歌手」になる事を拒んできています。毎年、CDはアルバム・シングルとセルフプロデュースでリリースしていますが、正直売れていません。

歌番組が減っている今、ジュリーには声がかからないのです。かかったとしても、


「懐かしの昭和の思い出」


的な懐メロ番組。新曲は歌う事が出来ません。


それならば、こっちから頭を下げてまでテレビに出る必要がない。というのが彼のスタンスです。


毎年、アルバムを出して、全国ツアーをしてという流れを欠かした事がありません。


「観たいならば、ライブに来てくれ。」


といった所でしょうか。セールス云々ではなく現役であり続ける事へのこだわり。


頑固オヤジといった感もありますが、だからこそ紆余曲折乗り越えて今日までやってこれたのではないでしょうか。


私はそんなジュリーが好きです。


年末に京セラドームと東京ドームで還暦を記念してのライブが行われます。


私も行こうと思っております。



「ジュリーっていうこのオッサン誰?」という世代の人も、動画サイトなどで過去の彼を一度観て下さい。


色々な受け止め方があるとは思いますが、間違いなく凄いです。


そして、機会があれば今の「沢田研二」も観て下さい。






次は「コンドル」を書きます・・・(^^ゞ

ニューパルサー

言わずと知れた初期4号機の大ヒット作。これでスロットデビューされた方も多いのではないでしょうか。


3号機の連チャン機から遠のき始めた私は、その頃から情報誌を読み始めておりました。


「ニューパルサー攻略」


確かこの頃の各情報誌は攻略的要素が色濃かったと記しています。


「連チャンの謎を探れ。」とか


「名古屋打ち」とか


そういった感じだったと思います。



私は話題の「ニューパルサー」が気になり、打ってみる事にしました。


4号機は連チャンしない。周囲の評価を鵜呑みにして今までは手を出すことがありませんでした。


ちょうど、5号機が出始めた頃の感じと一緒ではないでしょうか。



食わず嫌いとはこの事でしょう。打ってみたら意外にというより、はっきり言って、


「面白いやん。」


確かに1ケタ台の連チャンが続く訳ではありませんが、割と早いゲーム数で連チャンもします。


数珠連的な出方もしますが、あくまでも合法的な連チャンです。意図された連チャンではなく。


「怖い大人の人達」もニューパルのシマへは来ることがありませんでした。


私達「小僧」の天下でした。


友人と「リーチ目」を研究したり、赤Ver.と緑Ver.どっちがどうとか。


「赤い方は穏やかな出方で、緑は波が荒い。」


これが結論だったのですが、この頃はオカルト的な事を信じていました。(雑誌の影響)


やがて、シマも埋まるようになってきた頃。





最大のライバルが出現します・・・




「クランキーコンドル」



もうひとつの伝説の台を次回お話したいと思います。



ちなみに皆さんは「クランキーコンドル」を何て呼ばれていましたか?


・「クランキー」


・「コンドル」


・「クラコン」


・「クランコ」


・「クランドル」


私は「コンドル」派でした。


では・・・

マジカルベンハー

初めてハマったスロットです。


今の機種と比べたら、古さは感じますが、味わいがあります。


コンチネンタルⅡが初めてのスロットなのですが、全く意味が分かりませんでした。


スロットって儲かると?とよく言ってました。



それより覚えたてのパチンコの方が楽しくて仕方がありませんでした。


「エスケープ2」や「ダービー物語」や朝一の「綱取物語」や「春夏秋冬」・・・


「エキサイトジャック」や羽モノの「ミスOL」等など数え上げたらキリがありません。



そんなある日、友人にどうしても今日はスロットに付き合ってほしいと懇願されて打ったのが、


「マジカルベンハー」


でした。ボーナス絵柄が「赤7」と「青3」とちょっと変わっていました。大ヒットした「ドリーム7Jr」の兄弟機だったと記憶しています。フラグ察知は「ヌルスベリ」でした。


相変わらず私はいやいやにピタピタと友人を横目に打っていました。


その時。


「takuro、それ入りだよ。」


「はぁ?」


友人は横から目押しをしてくれ、初BIGです。


BIG消化もよくわからず、友人の言うがままにこなしました。


そこから大連チャンで、友人も呆れるくらいのペースでボーナスを連打し・・・


気づくと4万勝ち。




「スロットって案外いい奴かもしれん・・・」



単純な私は当然スロットの虜になってしまい、連日モーニングは無視しつつ、あの大連チャンだけを追いかけて行くようになりました。目押しを覚えると、興味が益々広がり、コンチⅡやグレハンなど連チャンが期待できる機種も打つようになりました。


でも、やっぱり。


「マジベン」


が一番でした。




3号機の時代はそんなに長くありませんでした。ただ、ホールが「鉄火場」の様相だったのがちょっと怖かったです。様々な大人の人達がいらっしゃいました・・・



そんなある日、私は「ニューパルサー」と出会いました・・・



つづく