- 小学生の泰成君。
- 家の近くに、母子支援施設があった。
- 石垣で囲まれ、鉄の門。要塞のような城に見えた。
- 入った事はない。
- 入ったら、出てこれないのではないかと、怖れた。
- でも、そこから走り出てくる子供達は、元気で、活発。
- 紙芝居とベーゴマの時代は遠い昔。
- その頃は、裏路上で、メンコ、ビー玉。
- 裏路上には、共同の井戸、物干しに洗濯物がはためく。
- その、土の路上では、男の子は相撲、女の子はゴム跳び。
- そして、我らがギャンブラー泰成君は、ビー玉。
- ビー玉は、子供にとって、通貨と同じ。
- 投げ玉に使う大きなビー玉は、水晶球のように、華美で、美しい。
- とって置けば良かった。
- 泰成君は、何をやっても弱かった。
- メンコは年長の力のある奴に敵うわけがない。
- 母子寮の子は兎に角強かった。何をやっても、賭け事は。
- つまり、泰成君は町内会のカモだった。
- 毎週末の土日には、小遣いを巻き上げられて、泣いて、母におねだりに行くのである。
- 良くした事に、母子寮の反対には、駄菓子屋があり、ビー玉、メンコを売っている。
- オケラの泰成君は、母からくすねるように貰った100年玉を握って、駄菓子屋に走る。
- あの時代の駄菓子屋は、子供の宝箱である。
- ビー玉でポケット一杯にすると、また、走って、戦場に戻るのである。
- すぐに、ポケットの弾薬は空になるのだが。
- でも、こうやって、あの時代の子供は、弱肉強食の社会の厳しさを学んだのである。
- 能力のある者にとっては、自由主義経済は、資本主義に勝る事も学んだ。
- 私が、お金に執着しないのは、その頃に学んだ人生観のおかげ。
- 賭け事も一切しないのも、己の技量と、勝負運を知っているからである。
- 父は、ゴルフや麻雀で握るのが好きで、実際強かった。
- 当たり前である。勝つまで、相手を帰さないのだ。
- 粘り強さと、執着力は泰成君には無縁である。
- でも、賭け事をしない泰成君に、父は何時も私に言った。
- 病院施設を作るくらい大きな賭けはない。
- 事業くらい危険な賭けはない。
- 無難な、地味な世界で生きて来たはずだが、今になると親の説教が効いてくる。
- 事業家位、家族を泣かせる放蕩者はいないと、母も思っていた。
- パチンコ屋に通う大人に寛容なのは、その頃のアドレナリンの興奮を覚えているからである。
- そう言えば、冬は、炬燵の上で、指で弾く、ビー玉パチンコもあった。
- 施設で、復活させたらどうか。
- リハビリにもなるのではないか。
- OTは検討してください。
- ルールは、私が指導してあげます。