最近になって、「教育虐待」っていう言葉を聞くようになりました。



まあ、こんな感じで…





この放送内容の父親のやり方は、純粋な虐待にも当たると思うので、

これとはちょっと違うニュアンスだけど。




こういう関連の記事を見ていると、過去が甦って苦しくなるというか。


そっか、私は虐待を受けていたのか…


って納得するようになってきました。



私の父は過干渉だった上に、今思えば妄想性障害とか人格障害とか、

そういう疾患があると思います。

本人は自分は全く間違っていないと今でも思っているので、

精神科を受診したり、治療を受けたことはありません。



私がずっとメンタルに波のある人生なのは、生育歴が影響していると

それは元から実感していましたが、虐待を受けていたとは思ったことが

ありませんでした。




殴られたり叩かれたりしていないし

(一度頬を平手打ちされましたが謝っていて、繰り返してはいません。

物を投げたり壊したり、怒鳴ったりは結構ありました)、

愛情は深く与えられたと感じていたので、虐待とは思わず。



それにしても苦しい支配で、周囲の人に説明しても

「心配症だね。大事だからでしょう。いいお父さんじゃん。」と

言われてしまって理解されないことが多く、親の話が嫌でした。



今の職場でも、精神科を専門にしていながら、「患者さんの背景」以外で

自分の身近にいる人の家族がそんな変なわけがないと、どこかで思ってる風の

同僚から「いいお父さんですね」と言われて、この年でも悔しくて

震えそうになりました。


私は全力で「父は変だ」と伝えたつもりなのに、会話する相手の親を

決して悪く言いたくない心理なのか、父をほめられて頭にきました。

「そうなんですか〜」って、ノーコメントでもいいのに、事もあろうにほめるとは…

患者さん相手なら、そんなことしないだろうに。

患者さんと目の前の同僚は、同じ人間なんだけどなあ。




そんなこんなで、


ものすごく偏っていて自己中心的な愛情だったから、苦しかったんだ。

と思っていて、でもそれは結局愛情を受けたのに贅沢か?と

思ったり、人にも説明が難しかったり、

解釈にも苦しみました。



でも、虐待だったのか。


と、理解すれば、苦しかったことも納得がいくし、

虐待を受けていましたと言えば、素敵なお父さんだなんて

トンチンカンなコメントする人もいなかったでしょう。





中学へ上がってからは特に目の色が変わり、

中1のうちから「受験の予定がある者はみんな受験生だ。

なんで1年だからってまだ受験生じゃないとか言うんだ」と。

友達なんて今作るな。友達なんて東大へ行ってから、そこで作ればいい。

と友達付き合いを許してもらえず、部活も禁止。

チャラチャラするなと、何故かシャープペンシル禁止。4Bの鉛筆と

模様の無いノートしか使わせてもらえず。なんで4Bだよ…

そんな筆箱持ってるだけで田舎の中学ではいじめの対象です。

(実際いじめられました)

髪を聖子ちゃん風に後ろへブロウなんて、当然禁止。

ドライヤーを丁寧にやる時間があれば勉強しろ。

色気づくな。

校則より家則の方がずっと厳しい。


テレビも観せてもらえなかったので、今でも

「この世代なら知ってるよね」の話が結構分かりません。



東大に入って医者になれば幸福になれる。と信じ、


学校教育には意義を見出さず、

友達、部活、委員会は無意味。

勉強だけすればいいから。と、姉は高校へ行かず(行かせてもらえず)

大検で大学受験資格を取りました。独学です。



姉がそれで色々病んだので、私は高校は行かせてもらえました。

学区外の進学校へ。


「ゆっきは高校へ行かせてもらってるんだから」と色々我慢するよう

言われました。




母は若い年齢で父と結婚して、父は10歳上だったし、

途中までは父に協力していました。




でも、娘たちがそれぞれメンタル病むようになったのを見て、

自分が間違っていた。このままでは娘たちが壊れてしまう。と、

父に逆らって、私たち姉妹を自分の意思で生きられるようサポートし始めました。




母がいなかったら、健常者の枠で生きて来れなかったと思います。

姉も私も自殺を考えた経験がありますし。



姉は二浪の末、もちろん東大ではないけど医学部へ。


私は高校卒業後、1年間引きこもり、母の勧めで看護の短大へ。




父はそれでも

姉が地方の医大に入ったことが不満だったり、

私が看護師になったのも不満で、医学部へ入り直せとか、

それをしないと分かったら今度は「看護師長になれ」とか、

なんか言ってましたね。




私は父から離れたかったので、就職と同時に実家を出て、

そこから本来の明るさを取り戻して行った感じです。




父は今ではさすがに進路のことは言わないですが

(娘たちも、むしろ定年や年金考える年齢だものw)

色々妄想して干渉しようとするので、姉は着信拒否しています。



私は着信は一応受けますが、父からの電話は基本出ません。



老いた父親にキツく当たることに抵抗もありましたけど、

自分の精神衛生のためには仕方ない、葬式で後悔したってもういい。と

思うようになりました。

まあ、葬式でも多分後悔しないです。




父親に対してそういう感情なことにも迷いは時々あり、

でもどうしても優しく出来ず、苦しい気持ちもありました。



だけど、虐待されてたなら、父を許せなくてもいいんだ。って

なんか今そう感じます。




愛情の種類に問題があった。

→虐待だった。

と認識を変えると、楽になった気がします。