東京は品川に生まれました。

 

12才の頃父が脱サラをして始めた書道塾が

私の書歴の始まりです照れ

 

脱サラ前の父はこちら

 

 

塾が始まった当初

私たちが寝ていたとこはお稽古日にはお稽古場となり

色々片付けたりして生徒さんが見えます。

 

なんだかお客さんをお迎えする日のようで

ワクワクしていたのを思い出しますウインク

 

書くことは好きでしたが自宅が塾となると

サボるわけにはいかずお稽古がいやになるというアマノジャクでした。

 

そんな環境のお陰様で18才のころから子供のクラスの指導をするようになりました。

そのころ父が大きな展覧会の事務局を引き受けて自宅で競書雑誌のために

作品整理や審査などもするようになりました。

 

当然のようにそれが私の仕事のようなことになり

父の元で鍛えてもらえました。

 

22才で結婚し23才で出産してからも

実家の近くに住んでいたので何かと塾や書道会の手伝いをしていました。


本当は舞台役者になりたかったのですが勇気がなくそのまま家で仕事をしていました。でもお伝えすることはちょっと役者にも通じると思ったこともあり、どんな先生に見られたいかというのを意識して先生を演じてもいました爆笑

 

ちょうどカルチャースクールが始まったころで

三越や高島屋、東急のカルチャーなどの講師もするようになり演技に磨きがかかります(笑)

 

今「通販生活」という雑誌がありますが

前身は「カタログハウス」

そこの通信教育に携わっていたのもこの頃です。

 

 

ちょっとしたその通信教育の広告塔のようになって

実際たくさんの添削も内職のようにしていました。

 

今ではカルチャーは日本橋の三越だけになりましたが、かれこれ40年以上伺っていることになります。

スタート当初からの講師の方も今は少ないかと思います。

ありがたいことです。

 

父が現役を引退し私が跡を継ぐ形で拓門書道会の会長になっていますが

妹や姪娘も同じ書道の世界に身をおいて

父の跡を追いかけています。

 

拓門書道会としても活動できているのは

妹たちや父のころからのお弟子さんにささえられてできていると感じています。

 

拓門書道会の外に今は自分の拓鶯塾でオンラインとリアルの講義をしています。

 

 

リアルでは小平と大井町で、

オンラインは世界の方々ともつながることができるラブ

実際イギリスやオーストラリアの方ともお稽古ができています。


翻って50年前は当たり前に各家庭にあった硯や墨、半紙。

今家にあるのはどのくらいの確率でしょう。


それでいて書道に関心をもっていていつかやりたいと思っている方のなんと多いことでしょう飛び出すハート


そのギャップを埋めていくのが

書道に携わっている私たちのお役目です。


ドキドキ心地よい書道を生活の中でドキドキ


父は90才の少し前に現役を退きましたが

私も父を目標にお伝えしていけたらと思っています。


日本の伝統文化と書道をお伝えしていくのが

私の生涯の仕事です。