釈尊が亡くなり 1千年までの 民衆は なんでも素直に 聞いたそうな

釈尊が 亡くなり2千年までの 民衆は 2つに わかれたそうな

1つは 素直にきける 民衆

 2つは 素直にきけない 疑いを 持って聞く民衆

釈尊が 亡くなって 2千年後 つまり 今

人の話は まったくもって 素直にきくところか疑いを 持って聞く 民衆がうまれあわせているそうな


なるほどね  すなおに きけば しんどくないのにね

そういう人たちが このよに うまれあわせているいう

つまりあたいも その1人


だから苦しみ 悩み 恐れ 不安 など 素直でない こころをもちあわせると そう なるんだね

結局は 自分で そういうこと 苦しんだり ふあんをもったり おそれを もったりね


じいじい どう 思う?


何 自分が 胸先三寸 で おもったことが 現実になるだけで

おそれていると おそれることが おきるしの

不安をもっていると 不安の材料が おきるしの

苦しんでいると ま~たくるしみことが起きるからの


全部自分のこころのなかに描いたことが おきるだけじゃ

それは 人のせいでもなんでもない

自分じゃ  自分がおこしているにすぎんのじゃ


つまりの 自分におきていることは 自分が のぞんでいるのかも しれんとゆうことじゃ

そのなかで 何かを 学びたいのかも しれんからの

だいたい 人間は この世で 体験して そのなかからでてくる感情 これを学びにきているんじゃ

感情というのはの 唯一人間様 にあたえられた すばらしいものなんじゃ


うれいいと 喜ぶという 感情 悲しいと なきたくなる という感情 これらはの  なにかが ないと

起きないのじゃ  そこからこころが でてくる


昔からの  物質をおいもとめるものは ほろびるぞ

そんなことより こころの 財 を もとめたほうが いいぞよ

これを 求めると ますます 豊かになるぞ

人間は 苦しみ なやむのがすきでの

そのなかから生きている という感情を学んでおると思うがの

ちがう学び方もあるというものじゃ


楽しいことを学ぶ どんな中でもの  そうすると 描いたように 楽しいことがおきるのじゃ

こころはの えねるぎーをだしておるぞ

だしたえねるぎーと 宇宙は 反応しての 現実を おこすだけじゃ

いわば むずかしい かも じゃがの量子力学 といってもよい こころに ある えねるぎーが 形として 現実に

みせてくれる 


じいじい ようは 自分の中に あることが 現実にでるってことですね

そうじゃ

悲しみも 不幸も 幸福も 喜びも 不安も 全部ですね


そうじゃ


ならいい楽しい思考したほうがいいですね


いまね 宇宙の中には 闇の 軍団が いるってほんと?

ずっと以前にもきいたけど


それじゃ  わらっていいかの

闇の軍団も 実は 人間がおこしたえねるぎーじゃぞ


陰と陽の関係じゃ


陰きわまれば陽となす 陽きわまれば 陰となす  


だから心配はないぞ  いずれバランスをとるときがくる

陰ばかりでは ない 陽ばかりでもない

極めたら 間逆にもなる ということじゃの


あ~いま地球は それかもね


ありがとう じいじい 。。