ネコ、大好きである。
でもだからこそ思うことがある。
今朝のニュースで、野良猫にエサをやっていたことが迷惑行為であるという裁判の判決があった。
私はネコがいや、犬も大好きだ。
だけれど、10代の頃、急に動物の毛+土でアレルギーがでるようになってしまった。
私自身はかゆいだけなので、触りたいのだが、
白目の粘膜がゼリー状に盛り上がり、顔中が赤く腫れ、2~3日はそのままのため、
気軽にネコや犬を触れなくなってしまった。
ま、それはともかく…
ネコであれ、なんであれ、エサを与えるという行為が私は好きではない。
エサを与えるのであれば、糞尿のしまつ、これ以上野良を増やさないための避妊、去勢手術、
それよりもなによりも、安直に人からエサをもらうことに慣れない様にしなくてはならないと思う。
エサだけを与えるのは、人間の自己満足でしかない。
以前住んでいたところで、神社にネコがたくさんいた。
ある日、一匹のネコが死んでいた。
汚物にまみれたその様子から、なにか毒物を食べさせられたのだろう。
人からエサをもらうことに慣れたネコは、もらうことに抵抗がない。
もちろん、頭の良い子は同じ人からしかもらわない。
ただ、人と同じように、妙にお人よしというか、頭の悪い子はいるのだ。
エサを与えるのであれば、そのエサを食べるネコに責任をもたねばならないだろう。
実際に、酷いアレルギーを起こす人だっているのだ。
私は触らなければ、もしくは狭い密室に一緒にいなければ、腫れることも呼吸困難になることもない。
だが、ホンの少しの毛で、激しく咳き込む人だっているのだ。
好きな人が嫌いな人のことを思いやることができなければ、それは迷惑でしかないのだ。
ネコが好きだからこそ、責任をもって欲しい。
迷惑をかけていることを前提に物事を考えて欲しい。
そうでなければ、憎悪はネコに向いてしまうのだ。
私とて、犬猫にはそういう思いがあるが、苦手な爬虫類、両生類であったら、絶滅してもかまわないと思っている。
嫌悪どころの騒ぎではない。
要は、自分の嫌いなもの、生理的に受け付けないものと同じように、
自分の好きなもの、愛しいものを受け入れられない人がいるということだ。
この裁判の判決は当たり前の結果だと思う。
エサを与えるだけで、なんの対策も講じなかったのだから。