昨年末の「喫煙しながら子供たちに知恵袋的話しをするおじいさんが子供が読むにふさわしくない」と
絵本が店頭から回収され、出版が差し止められてから、
この手のことが目に付く。
潔癖なのはいいけれど、自分が生まれてきた過程、子供が生まれてきた過程まで否定するのかな。
私は1人の娘の親として、
「子供は『愛の結晶』とか『二人の絆』とか、そんな口当たりのいい言葉で語れるものじゃない。
自分のことは後回しにしても、子供を優先させるということは、肉体だけでなく精神的な成熟も必要。
イマドキの流行のように、小学校の基本的な問題が解けずとも、親にはなれる。
でも、自分の親がそういう人だったら、向上心をもったりできるだろうか?
『自分のしたいことができないから』と虐待したり、育児放棄することが『愛の結晶』?
まずは自分自身をきっちりと養って、肉体的にも精神的にも成長してから、
最悪、1人で産んで、稼いで、育てられる覚悟ができてから、子供を持つべきだろう。
出産費用もないのに、産むなんておろか過ぎる。子供はタダでは育たないのだから。
性行為もするなとはいわないけれど、責任をとるというのなら、避妊を『相手任せにせずに』するべき。
とりあえず、親に養われている状態での出産は絶対に認めない」と
常々言っている。
ちなみに娘はこの春から中学生。
彼女らの好む、ヤングアダルトというジャンルの本では、実に口当たりのいい、見目麗しい言葉で性行為を美化している。
娘はまだまだ、肉体的にも子供だが、そういうことはきっちりと教えるのが親の仕事だと思っている。
今、子供と闘わない親が多い。
命が本当に大事ならば、稼ぎもない子供を自分達が保護して出産させるのではなく、
中絶させ、その重みを全身に背負わせればいいのだ。
かわいそう?
無自覚な子供な親に育てられ、言うとおりにならないからと虐待され、自分の親に殺される方が
何百倍もかわいそうなのではないか?
自分がロクに学校に行っていなければ、子供にも学校へ行くように言わないだろう。
そうしてまっとうな道から外れていく子供がかわいそうではないのか?
子供は自分の手元から『自立』させるものだ。
いつまでも手元に保護する存在ではないのだ。
そこを履き違えている親が多すぎて、だんだん自分が異端に思えてくる。
でも私は私の信念を変えない。
私は娘を『自立・自律』させるために育てているのだ。
そして、娘に親として育ててもらっているのだ。
だから、闘うことをやめない。
こんな私は少数派らしい…