こんばんわ

界隈はロイヤルエクスプレス甲種で賑わう年の瀬、いかがお過ごしでしょうか。
 
今年は喪中ということで僕はいつもより落ち着いて過ごしています。
 
実家には帰りますがね。
 
さて、先日中央線に乗る用事がありまして、東京駅で待っていたら209系がやってきました。
 
JR東日本トタ81 三鷹(別日撮影)
 
これはテンションが上がります。
 
関東圏じゃない方が見たら「ただの電車じゃねーか」と思われるかもしれません。
 
この車両は1999年、常磐緩行線に導入され、地下鉄直通用としてその車生をスタートさせました。
 
新系列電車としては初の地下鉄直通車両で、他の209系とは異なる顔つきとなっています。
 
この顔つきや部品配置はのちのE231系800番台、E233系2000番台にも受け継がれました。
 
特にE231系800番台は顔つきが全く同じで、色と制御装置以外見分けがつきません。
 
JR東日本K7 阿佐ヶ谷
 
209系1000番台が中央線にやってきてからは、この二種が並走する姿が見れるようになりました。
 
そんな兄弟(?)を持つ209系1000番台ですが、当初より製造数は2。
 
これは、当時の常磐線各駅停車にはすでに203系と207系が配置されており、増発や車両運用の都合上増備が必要となったために導入された、いわばピンチヒッターであったためです。
 
これが彼の「ピンチヒッター」車生の始まりでした。
 
2016年。小田急・東京メトロ・JR東日本の三社は相互乗り入れを開始し、取手~伊勢原間の壮大な路線網が確立されました。
 
この時直通車両に、小田急から4000形、東京メトロから6000系・16000系、JR東日本からE233系が選出。203系・207系は2011年時点ですでに引退済なのでおいといて、209系は現役バリバリ。
 
2編成のみの少数派であり、乗務員訓練を行うのに手間がかかること、そもそも車両数が足りているのにピンチヒッターを活躍させる必要がないことが理由でした。
 
こうして肩身の狭い生活を送ること約2年。ピンチヒッターは常磐線を後にすることになりました。
 
元々減価償却期間13年の209系、廃車にするには十分な年月が経過していました。
 
このまま長野に行くのでしょうか。
 
いいえ、ここで死なないのが209系。彼が向かった先は大宮でした。
 
そして帯をオレンジに変え、データも更新。このために用意したであろう彼だけが持つ特製路線図を引っ提げて、豊田にやってきました。
 
そう、彼は「グリーン車導入のためのピンチヒッター」として、中央線に再就職したのです。
 
期間は現時点では2024年秋ごろまで。その頃には中央線E233系のグリーン車改造も終わるとJRは主張しています。
 
さぁね?😅
 
そんなこんなで今日も中央快速線内を爆走する209系。相変わらずのGTO-VVVFインバーターを唸らせて走るその姿は、
 
十数年前の首都圏を見ているようで懐かしい気持ちになります。
 
そんな懐かしい車両を目の前にして僕は
 
「これは全区間乗ろう」
 
と決意。次の予定まではまだまだ時間もありましたからね。
 
やってきたトタ82編成に乗車。乗ること自体は1か月ぶりです。
 
普段はいることのない青梅線で乗りました。
 
車内はE233系に比べると薄暗く、少し狭いように感じます。
 
拡幅車体じゃないので。
 
 
わかりずらいですが少し209系が小さいように見えるでしょうか。
 
小柄ながら出す音は爆音。これがまた良い。
 
この日は駅社員対応が尋常じゃない数あり、特に中野~武蔵小金井にかけては2駅に1回はあるレベルでした。
 
そのため遅れも少し発生しており飛ばし気味。
 
GTOが唸りに唸っています。最高です。
 
あっという間に終着高尾に到着。
 
奇跡的にカメラを持っていたので記録を。
 
 
側面に光る「中央線」の文字はいつになっても慣れません。3色LED幕が中央線にやってくるのはこの209系が初。
 
中央線は201系→E233系という順で置き換わっているのでミレニアム世代(だいたい209系・E231系)が0でした。
 
少し表示機が上気味なんですよね。幕の記録がしずらいです。
 

JR東日本トタ82 高尾
 
バルブもしました。このあとはそそくさと折り返し東京に帰っていきました。
 
209系はドアボタン未設置等運用に制約があるため、東京~高尾間での限定運用となっています。(試運転で大月まで走行実績有)
 
運番も固定で平日97T・99T、休日97Tのみです。
 
関東圏外にお住いの皆様。JR東日本最後の三菱GTO、ぜひ一度ご乗車されてみてはいかがでしょうか。
 
同上 三鷹
 
最後までお読みいただきありがとうございました。