亡くなった京都のALS女性は、年老いた親御さんに介護してもらっていたわけでもないようですから、逮捕された医師たちと出会わなければ、悩み、葛藤しながらも、自分を受け入れ、絶望の沼から抜け出して、生き甲斐(がい)を持って輝けていたかもしれない

今はパソコンがあれば何でもできる。どんな過酷な病でも、適切な支援があれば、人間は置かれた環境に適応できる驚異的な力を持っています (京都新聞よりALSを発症された女性医師の記事から一部抜粋)

どうも納得が行かずモヤモヤする
あまり批判的な事を書くのは好きではないのだけど、なんか違う気がする

京都の女性は視力を無くしてしまうことが苦痛だったのでは?

いろんな技術を駆使して活動的に発信していただいているから、ALSの研究も進んでいることに感謝しています

しかし、視力を失った先にどんな輝かしい人生があるのか、具体的に語ってほしい。医師として。

「~かもしれない」
は、正直もういい

京都の女性もパソコンを使い独り暮らしをされ、生き甲斐や楽しみも感じた時期もあったはず

その先に今回の事件があったんじゃないのか?
と、モヤモヤして仕方ない

入院中は時間が有り余っていますので、考え出すと止まず発散させてもらってます。

でも、やっぱりモヤモヤするんです