うつ病で引きこもりが人生の底辺から呟きます。

うつ病で引きこもりが人生の底辺から呟きます。

2016年11月うつ病にて休職、ズルズル引きこもりしています。これまであったこと、今していることを記していくのでこれを見ているあなたの助けになると嬉しいです。在宅で出来ることを紹介。

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簡単に私が勉強したことをまとめたいと思います。

 

まず、うつ病と呼ばれるものは心の病と言われていますが、体にも異変を生じます。

 

心には、気分が落ち込む、集中力が落ちて注意力も散漫になってしまう。今まで好きだったことにも興味を持てない。気分が上がらない。

体には食欲が無くなったり、眠れないという症状が主に現れます。

人によっては頭痛や動悸が激しくなる、女性の場合は生理が不順となる場合もあるそうです。

 

更に急に逆の症状が現れることもあります。

ものすごくイライラしたり、何かに集中し始めて他のことができなくなってしまう、丸一日寝てしまったりなどです。

 

私の場合は、不眠、集中力がなくなるという症状がものすごく酷かったのですが、突然PCの前で作業をしなきゃという焦燥感が生まれ丸一日飲まず食わずで作業して気が付くとその後3日くらいボーっとしてるだけで身動きができない状態になったりしました。

 

自分が陥っている症状を正しく把握し、医者に伝えることが大切だと思います。

 

これは私の私見も入っていますが、うつ病とは心の病という考えは間違っていると思います。症状が心の動きに出るだけでそれを起しているのは脳ですので脳の障害と言えるのではないでしょうか。

これを正しく理解できていない人が「気合いの問題」「ほかにも頑張ってる人がいる」「そんなんでいいと思っているのか」などと見当違いなことを言うのだと思います。

病気なのですから、安静が一番です。そんな気合でどうにかなるのなら医者はいません。ほかの人がどうだろうと自分が苦しいのなら休めばいいのです。

復帰した職場はPCで機械を動かすためのプログラムを作るという仕事でした。

 

仕事自体は好きなことに少しでも関われるならと前向きにやっていましたが、その職場は人が足りないということでかなりの激務でした。

ですが、3年間給料が上がらないという新人育成期間を特例で延期するという工場の判断で残業代がでないサービス残業、給料は初期の勉強をしていたころとあまり変わらない6万での生活です。

借金が減らず、困窮していて、睡眠薬でも眠ることが出来なくなっていった私が選んだ手段は酒に逃げるという最悪の手段でした。

 

毎日泥酔するまで飲んで寝るということを半年続けながらまともな食事よりも酒を飲むような状態になっていきました。

 

そして、労働組合を通して借金をどうすればいいか相談できる機関を探そうと思ったところ、会社をひいきにしてくれている銀行がおまとめローンという形で月ごとの返済額は減らせると言われ安易にやってしまいました。(その後聞いた話では借金の減額処理などの制度が合ったそうなのですが、その話はされませんでした。)

 

そして、それから1か月後には栄養失調、アルコール依存症、不眠症、うつ病と診断され、休職することになりました。

 

ここまでが社会人になってから休職するまでの流れです。

これを読んでくださってる方々とは違う流れだったかもしれませんが、参考になればと思います。

 

 

追記

私が働いていた会社そのものはブラックではないと思いますが、私が所属していた工場がブラックだったのではないかと思います。

その点はまた次回にでも・・・。

その大型の機械は人材不足だそうで、定年間際の方が多くいる職場で、上司は若い方という状態でした。

そして、工場の方針で教育期間を3年設けるというルールがありました。(他の工場にはない)

 

その時の仕事の内容は先輩方の仕事をしているのを後ろで見ながら覚える。機械の準備を朝いちばんに出勤してやる。

大型の機械なのでオイルなどの準備などでも数十キロのものを運んだり、パーツの点検入れ替えなどでも中腰で行っていた+普段から姿勢が悪かったのもあり、腰痛が・・・

病院で椎間板ヘルニアが判明し、上司に言ったところ別の小型の機械の職場に移動。

腰の爆弾を抱えながら、自分が好きだった機械からも外され、残業していても教育期間中は残業ができないというルールを悪用したサービス残業をする毎日。

段々と眠りが浅くなり、日中も頭がまともに回らない毎日になっていきました。

 

あるとき腰の爆弾がついに爆発。左足が上手く動かせないという状態になったため手術に踏み切りました。

が、手術は3日ほどで終わったのですが、悪化してからの手術だったためリハビリに半年かかるということになってしまい、1度目の休職。

リハビリを終えれば普通に歩けるようになるといわれ、障害者の認定を受けることができなかったのでお手伝いの人を一般の枠でお願いし、なんとか生活する日々・・・。そして手当だけでは生活できないので借金を作り、不眠症が悪化。

 

半年後、上司の判断で事務職ということで復帰しろといわれ、リハビリを急いで終え、睡眠薬を飲みながら復帰しました。

2012年に工業系高校を卒業

その後、大手鉄製品加工工場に就職

 

1年目は職業訓練校のようなところで勉強をしながら給料をもらえるというような感じでした。この時手取り5.6万ほどだったでしょうか。

関東圏でこの給料なのか?とは思いましたが、勉強をさせてもらっている側ですのでもらえるだけありがたいと疑問には思っていませんでした。

 

2年目の始め3か月間他の工場に一時勤務という形になり、残業がとても多く起きて会社行って帰ったら寝るというような生活でしたが、残業代も払われていましたし、手取りで22万は貰ってました。

上司もいい方で仕事の相談やアドバイスを受けながら楽しくやっていたと思います。3か月目の最後の方に上司が体調が悪く出勤できないときには代理で色々な処理や雑務をやっていましたが、今でもいい経験だったと思います。

 

さて、2年目3か月後、本来の就職先の工場に正式に着任しました。

私はかなり大型の機械のオペレーターとして採用されたのですが、学生の頃にやっていて好きな機械だったのでこれから頑張ろうと意気込んでいました。

その後どうなるかもしらずに・・・・。

皆様、初めまして。

澤谷 匠(24・男)です。(仮名)

 

20歳の頃に最初にうつ病になりました。

というのも鉄の加工工場に勤務中に第三椎間板ヘルニアになり、不眠症の症状が出たのが始まりだったと思います。

その後職場が変わり、腰の手術をし、また職場が変わり、22歳の時に何もできない寝れないような状態が1か月以上続いてうつ病として休職しました。

現在も療養中です。

最近やっと落ち着いてPCの前に座って作業できるようになったのでブログという形で記録を残していこうと思った次第です。。

もう会社には居場所がなく、病状も安定しないため自宅で出来ることを地道にやっていこうと在宅ワークに分類されることに色々挑戦しています。

細かいことは後々記述していきたいと思いますので、何か聞きたいことなどがありましたら気楽にコメントください。

私の記録があなたのお役に立てますように。