今日は月命日。
平日の激務で寝不足続き。今年は特に年齢を感じる年やった気がする。
仕事の口出しもモチベが下がる原因やね。ピリピリしてるなぁ自分。
今朝は住職奥さんが来られたみたい。嫁さんは女性同士色々話ができていいみたいね。
夜は拓嶺の大好きなトンテキ。末っ子はがっついて食べていたね。
ある人と話してたら、色々思うところもでてきた。
過去の清算は自分の気持ち次第なんだと。どれだけ受け入れられたかなんだと。
違う話で出てきたんだけど、自分の中で生きた証ていうのは現世で何を残したかという事だと思う。
私らは子供という大切な大きな宝を残す事ができた。後はどれだけ社会に貢献して必要とされる人間になり記憶に残るか。
拓嶺の場合は何も形としては残すことができなかった。人々の記憶に「そういえばいたね」て言われるほどしか残らないだろう。
でもそれで普通なんだと思う。私も他人の大切な方が亡くなってもおそらくそう思うだろう。
どんな人生だったのか。ちゃんと子供らを見ていたのか。幸せだったのか。
それらを自問自答しながらこのブログを書き始めた事を今でも覚えている。
「拓嶺」の思い出の出来事も後1年分になってしまった。遅々として書かなかったのは最後まで書くとあの子にしてあげれる事が終わってしまうような気がして書けなかった。
でもそうではないような気がしてる。
過去を受け入れ、自分の中でケジメをつけていく事が人生で後悔をしない方法の1つなんだと思う。
ふとそう思ってからは気持ちのドロドロしたものが少しだけ流れたような感じがした。
今年は7回忌を終え、元気だったら拓嶺は中学生だ。
柔道部に入り、持ち前の強い気持ちと大きな身体で大会でも活躍していただろう。
兄姉弟にも「私の仕事を継ぎたい」とずっと言って、兄ちゃんは「家の仕事は拓嶺のもの」と言って大学受験に臨む今現在、この言葉を守るということで別の道を選んだ。長女も高校受験。末っ子は5年生の高学年だ。
みんな大きくなった。心も身体も大きく成長しているのをみて判る。
私はあの日以来、感情の起伏が激しく自分でもコントロールできなくなる時が未だにある。
いいのか悪いのかわからんが、喜怒哀楽が激しすぎるのは自分でも分かる。
そのせいで恥ずかしい思いや後悔する事も多々あった。
これらも自分を成長する糧として受け入れ今後に活かしていければ少しは成長できるのかな。
いつかは拓嶺のところへ行くんだが、その時には…なにやってんだと怒られるかなぁ。あいつ融通利かず頑固やからね。
拓嶺の大好きだったNinjaを大切に乗り続け、家族の幸せを願う。
そして今しかできない事がある。それが結果がどうなるとしても自分に正直に生きていたい。
今年は密度の濃い1年だった。毎年1年が早く感じるようになってる。
あっという間に歳をとるんだろうな。それだけ充実してるということか。
人生という、時間に限りのある中で、少しでも昨日の自分を越えたい。
いつまで現世にご縁があるかわからんが、その時まで自分に正直に生きて行こうとおもう。
※2019_12_31~2020_1_1にかけて追記。