昨日は

サプライズで大阪へ行きました!

 

 

ヒロイチも

ほんと、

ありがとうございます!

 

そして

おめでとうございます!

 

 

興奮醒めやらず・・・

味穂でクールダウン(笑)

 

 

 

 

なんか、夜中に食べちゃった!

16時間断食は今日ばかりは休憩です〜

その分、胃腸が休んでないのです。

 

 

ありがとうね〜

会えて嬉しかったよ!

 

 

___________________________

 

 

谷村奈南さんと

ビリーアイリッシュトーク(笑)

 

しかし、

お兄ちゃんが凄いな〜

 

曲が一曲、一曲、短かった印象。

映像も、音も、いちいちめっちゃ計算されている。

それが天晴れだった〜〜〜

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友達のまゆみから・・・

 

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テーマ:【自分の本質に出会うプロセス】

喪失体験こそが人生に恩恵をもたらしてくれる

 

ある心理カウンセラーの身に起きた、

3年で9名の大切な方を亡くしたことから得た気づきをもとに、ルームではお話が進んでおります。

 

 

●ミドルエイジクライシス


人生を前半と後半に分けてるんですね。 
で、人生前半と人生後半の境目あたり
人生の正午と呼んでおり、

この人生の正午に起きてくる悩みや問題を
ミドルエイジクライシスと呼んでいます。
 
※人は、人生の前半においては、

結構一面的な価値観でもやっていける
 

例)自分は常にポジティブにポジポジティブ人間として生きるぞ
   

自分はビジネスで結果を出すことに、全てのエネルギーを投入するぞ
 
そういう一面的な価値観でも、結構うまくいくんです。
だけど、ある時期に差し掛かると、
そういう一面的な価値観では、対応できないような問題や悩みが起きてくる。 
これがミドルエイジクライシスというやつです。

 

今回は、ある心理カウンセラーさんが

一面的な価値観でうまくいっていた人生の前半と、

人生の後半=ミドルエイジクライシスで、向き合った問題や悩みをお話します。

(人生の前半で切り捨ててきたものを統合して より厚みのある幅のある深みのある人間に成熟していくこと、これを自己実現と呼び、そんな統合が起きる過程を体験談と共にお送りしております。)


●事例:心理カウンセラー/江杉ゆきさんのお話江杉

私のミドルエクラス前に、江杉さんは今思えば、

沢山の思い込み(=スキーマ)を抱えていた。

生きづらさを抱えていた。


 ・ねばならない、
 ・何々せねばならないとか
 ・hsp気質
 ・人の顔色とか、空気感に敏感
 ・嫌なことも嫌って言えず


※自分としてはすごいきつかったんですけど、
 でも、これで表面上は割とうまくいっていたので、そういうもんかと思っていた。

 

>野口さん解説
※スキーマとは
自分でも自覚してないことが多い
その自分が信じ込んでいるスキーマを前提に行動するので、
どんな結果が出ても、やっぱり自分の信じてることが正しいっていうふうに、自分で強化していっちゃうんですね。


余計そのスキーマが凝り固まっていくんですけれども、
生きやすいスキーマってのがあってですね。 
 

例)生きづらいスキーマ

 「人に嫌われるべきではない」なんですけど、
  生きやすいスキーマ

 「人に嫌われないに越したことはない」

 「相手を不機嫌にしないに越したことはない」

 

まあ、良い結果を出すに越したことはないという。
こういう考えだったら生きやすいわけですよね。

人に嫌われないにこしたことはないけど、
いや、この人にはどうも嫌われたらしい。
まあ、いいかっていう風に思えるわけです。

 

●喪失体験
3年間であの9人の大切な方を亡くしたお話。


>どんなふうにそういう現実を受け止め、どんなふうに行動されてたんですか?

 

ほんとにショックで、自分の身に何が起きてるのかもわからないような状態
25歳まで 人の死っていうものに直面したことがなかった


元気だった人が。1日1日こう痩せ細って弱っていく姿
もうそれがほんとに怖くて、とても受け止められなくて、

当時はそれまで通りの私の生き方というか、

考え方で、 もう私が頑張ってなんとかいう方向に持っていかなきゃ!

私がなんとか助けるんだ!と

 

頑張ればできるっていう風に考えてしまって、

なんかもう 人の命までこう自分がなんとかしようっていうふうに考えてしまっていましたね。


でも、やっぱり全く歯が立たなかったんですよね。

どんなに私が頑張っても、どんなに走り回っても、 

もうどんなに祈っても、足も出ないというか。

でも、そういうものがほんとこの世界にはあるんだって。

なんかほんと厳しい現実をもう次々とこう突きつけられてる感じで、ほんとなんか打ちのめされて、もう大いなるものの前にひれふすしかなかった。


みんな精神的なこう支柱な方たちだったので、

大袈裟ではなく、なんか自分の世界が変わってしまって、
見える景色が全く変わってしまって、

もうなんかほんとにこう もう喪失感と悲しみで、

もうあ、もう私立ち直れないんだろうなって。


その一方で振り返ってみると、

私はこれまでこう自力で頑張っていい結果出そうって

今回もそんな考えで色々やってきたけど

そもそもそういう考え方

私のやり方がみんなを苦しめてたんじゃないかって

それがみんなのこう負担になってたんじゃないかって

 

自分の悲しみとか、怖い気持ちとか、

もうとても受け止められなくて、

でも、それを書き消すように見ないように、

 もうなんとか人の命までこう繋ぎ止めようみたいな感じでね。

 

それを一方的に私みんなに押し付けてたんじゃないか。

ただでさえね、みんな病気でしんどいのに、
その上私がすごいこう辛い思いをさせちゃったんじゃないか

みたいな感じで、すごい自分を責めたんですね。

神の領域にまで私踏み込んで自己満足的な

思い上がったことを私なんかとんでもないことしてたんじゃないかみたいに、

自分を責めるような気持ちが湧いてきていました。

>野口さん 補足

●ハビング

 自分が獲得したもの、あるいは持ってるもの。

実績とか、名声とか手に入れたポジション

発言力、発信力。自分の才能とかですね

そういう自分が持ってるものをハビングといいます。

 

●ビーイング

ドゥーイングでもハビングでもなく、

自分の存在そのもののことをビーイングというわけですけど、

 

死に向かう過程で、それまでの行為も ハビング手に入れたものも全部なくなって、

最後はもう存在そのもの=ビーイングになっていくんだなっ

てことを考えたということですね。

 

ほんとあんなに明るくてはとしていた親友も 

あんなにスポーツマンだったおじちゃんとかも

起き上がれなくなって、寝たきりになって

最後は息をしてるだけの、生まれたばかりのね、

赤ちゃんみたいになっていくというかね

赤ちゃんってこう、ドゥーイングもハビングもなく、

生まれてくるビーングだけで、

この世界に生きている
人間もこう死に向かう時って、

そういうこの世に誕生した時と同じ状態にこう。

また戻ってくんだなって、 

そうやって人間って死を迎えるんだなって。

私自身に直面したことがなかったので

 

大切な人の死に直面されて、

なんかほんとにもう人間の存在の根源に向き合うっていうか、
 

私はそれまで自分のことをドゥイングとか、

ハビングでしか価値を見出すことが できなかったんです。

でも、

 

名前呼べば何?って返事してくれる。

もうそれたったそれだけで、

どんなに幸せなことだったんだろうって、

どんなにそれが嬉しいことだったんだろうって

みんながそう弱っていく姿見て、

 もうほんと存在していてくれるだけでいいから、

もう生きててくれるだけでいいから、

もうそこにいてほしいっても、

すっごく 強くね願ったんですよね。

その存在の尊さっていうか、

存在の愛しさっていうか、
なんか、そういうものをこう初めてなんか肌で感じたというか、
こういうこう、それまでのドゥーイング、ハビングの思考、

考え方が随分そこで手放せた感じなんですね
ほんとここれが人間なんだなって人の一生なんだなって思ったんですよね。

 


その何年間の間に大切な人が急にもなくなって、

空っぽになったかのような、 ご自分の大切なものが随分失われたような、

感覚ですよね。

そうです、自分のそれまでの生き方ももう全部否定してるような感じだったので、

 

その後、アルゼンチンに来てみて、

これ私の人生の中ですごい強烈な出会いだったんですけど、

全長が4キロぐらいある滝で、

アルゼンチンの国境で、熱帯雨林の中にあるのをすごいもう言葉では表せないくらいの

 幅が4キロぐらいあって、高さがもう100メートルぐらいあって、もう毎秒何万トンとかの水がばって流れ落ちてる。

すごいなんか、勢いの すごい勢いでこうね。

東京でこう地球って、コンクリートにこう固められてるんですけど、

なんか生きてる地球なんだみたいな、なんて言うんですかね。自然に対する異形の念じゃないですけど、

なんかそういうのをまざまざと感じて、

言葉を失って、もう何時間もぼーっと眺めていたんですよね。

 

その滝があまりにもほんとにすごくて、

それを覗きながら見てた感じだったんですけど、

 なんかもうこの滝の前では私、何にも通用しないなって思って、
そんな大自然の前では人間ってちっぽけ

自分がそぎ落とされた感じだったというか、

そのままでいいんだっていう風に言ってもらえてる気もしたんですね。

 

もう何も言わなくていいから、

そのまんまでいいんだ。もうあるがまんまでいいんだ。

そのままで生きていけばいいんだっていう風にこう 言われてるみたいな感じがして、

なんか、私これでいいのかなって

 もうなんか全然通用しないし、だけど、このありのままの私でいいのかなって思って、
その滝の前でずっとこうボーっと見てた時に

なんかすっとこう着地したというか、 なんか落ち着いたんですね。
空っぽのまんまで私何もないって思ってきたけど、

 だけど、この私ここからこれでいいんだみたいに言ってもらえてる気がして

 なんかそれがもうほんとに大きな私の中では出会いだったんですね。

イグアスの滝。

>野口さん

ご自身の本質みたいなとこに着地されたは落ち着いたって言われましたけどね、
落ち着くっていう言葉は言葉通りね。

ちゃんと落ちていくと、最後はつくんですよね。

着地するんですよね、

人は喪失体験とかねこう苦しい体験とか実体験で落ちていくんですけど、 落ち切ったところで、もうこれ以上落ちない場所ってあるんですよね。
そこがありのままの自分等身大の自分なんですよね。


江杉 さんは3年間で9名の大切な人を失われて、

もうそれは強烈な喪失体験ですから、

当然、もうご自分が空っぽになるかのような体験をされ

アルゼンチに行って大自然の雄大な姿に触れてる中で、

このままの自分でいいって言われてるような
あるかまでいいって言われてるような、そんな感覚になったという

話だったと思うんですけれど


今日のタイトルじゃないんですけどね。

この喪失体験っていうのは、
ある意味大切なものを失っていく体験なんですけど、

その大切なものを失っても残るものってのは、必ず人間にはあるんですよね。

 どんなに大切なものであっても、それを失った後に残るもの、それが自分の本質なんですよね。 
失ったように思える時でも、残っているものっていうのが必ずあるんですね。

 

それが自分も1番中心にある本質で、それこそが自分の存在、ビーイングなんですけれども、

この自分の存在、ビーイングっていうのは、

なかなかその知識的な 議論では実感できないものではあるんですけど、

そういう失体験によって、特に喪失の痛みが大きい時っていうのはですね。 
ある意味、自分の本質に繋がる、滅多にない機会でもあるんですよね。
 

大自然と触れ合いの中で、そうこういう
認められてるような、受け入れられてるような感じをされたっていうのがね

ほんとに象徴的で、大自然の雄大さに触れる体験のことAWE体験と言ってね。

aweと書いてオウ読むんですけどね。 
大自然の壮大さに圧倒されるような体験をした時に、

それをawe体験っていうわけです。

そういう時に人は自分の小ささを感じるんですよね。

でも、それは全然悪い感じじゃなくて、 

大自然の前に、自分はなんて能力がちっぽけな存在なんだっていうところで、

すごい深い安心感を得るんですね、


これが体験なんですけど、これがあのさっきの万能感の逆なんですね、あの万能感っていうのは全能館とも言うんです。

自分の思い通りになるっていう感覚のことで、 これは心理学的には、幼児自体に誰もが持っていると言われてるんですね。


で、大人になっても万能感を手放せない人っていうのは、

もう常に自分の思い通りに人をコントロールして、

人が自分の思い通りにならないとこうイライラしちゃうんです。

それはなぜかというと、万能感を持っているからなんですけど。 
でも、人は失敗や挫折、あるいは喪失体験によって万能感を手放してった時に、
初めて心が大人として成熟して、

その思い通りになりたいことや、耐性を獲得するんですよね。


自分の思い通りにならない相手のことも受け入れることができるようになったり、

思い通りにならない状況でも、冷静に建設的に行動できるようになったり で、それは何よりもね、人としての謙虚さを兼ね備えた状態になっていくんですね。
挫折や喪失体験によってですね


その大自然に触れるawe体験というのはえ、

かなり強力にこの万能感を手放すプロセスを押し進めてくれる

大自然の前では自分なんてちっぽけな存在で 

周りの人の生死すらも

自力でなんとかしようと思ってた自分はちっぽけだったな、

この大自然の流れに、自分は生かされて

この流れに流れの中で生きてきたんだなでも

ある意味、これは大自然に抱かれ、 

この大宇宙に包まれ、そうやって生きてきたんだなみたいな。

 

そういう感覚に時になる場合もあるっていう風に言われてるんですけど、

私はそういうことを 彷彿とさせるようなお話だったなと思って聞いておりました。
 

>このプロセスを経て、どんなことを感じたり、学んだりされたんですかね。


改めてこう自分見つめ直して 。

周りの目や評価に振り回されっぱなしだったけども。

私はそうじゃなくて、自分が自分で信頼できる人間になりたい、

真の優しさを持った
内面が強い人になりたいっていう風にすごく思うようになって、

心理学とか、あの東洋思想とかの学びを深めていくきっかけになって、 

野口さんと出会うことができたりメンターと出会えたり

すごい自分の人生に新しいものがどんどんこう入ってきてくれるようになったんですね。

学んでく中で、中でもやっぱり1番私が影響を受けたのが、

ユダヤ人、精神科のビクトールフランクル博士。

 

雑誌をなんか見てた時に、

そのフランクル博士の特集で「夜と霧」

ほんとに素晴らしい本でそうですよね、 

感動でもう震え続けた魂が震え続けたというか、
 

その中でフランクル博士が

『どんな人生にも意味はある、どんな時も人生には意味がある

そして、その意味は我々が人生に問うのではなくて、

人生の方が我々に問うているのだ』

 

もうすごい衝撃を受けて

私に起きた試練というか、悲しいことも

なんで起きたのか?嘆いたこともありましたが

 きっとそれにも意味があるんだって。

 

で、その意味も今はわからなくても、 

「なんでこんな辛いことが起きるんだ」って問いかけてたけど、

「私が問いかけられてたんだ」って、
それがもうほんと衝撃でびっくりして、
 

私はここから自分でその意味を作っていけばいいんだって。

私がもう意味は自分でクリエイトして、

ここから自分で決めてけばいいんだっていう風に、 

思えたんですね。

 

どんな人生にも意味があるんだな。

自分で作り出せるんだっていう風に思われたわけですね。

 

このちっぽけな私から、

ここから、私はありのままの自分で歩き出してみればいいんだって

なんかすごい勇気づけられましたね。

 

光の塊みたいな本ですよね、

フランクル心理学がえさんの価値観、人生観に大きなシフトをもたらしたわけですね。
 

もう1つ、妹の存在があるんですけど、

妹の存在が違って見えてきたんですね。

私にとって、 あの妹って私のシャドウを表してくれてた人なんだな
って思えるようになって、

 

妹って昔から 親に対しても、

会社の人に対しても、

サボりたい時はサボるし、

 もう頑張らないときは堂々と頑張ってないし、

なんかすごいこう自由な人なんですね。

 

私そういう妹を見ててすごいこう、ハラハラしたり、

私はそれをすごいきついいけないことのようにこう思ってしまっていて、

でも母が傷つくんじゃなくて、

私自身のこの自我主体というか、

自分が傷ついてしまうっていうだけで、

 なんか母が妹がどうこうじゃなくて

私自身の問題だったんだな

なんか妹見てるうちに思ったりして
 

やりたいことやってる妹を見て

私もやりたかったことを見せてくれてる

再体験させてくれてる

私、ほんとはそうしたかったんだよなとか、

ほんと 実は羨ましかったんだよな、

 

自分の気持ちを尊重してあげていいんだよって

許可できるようになっていって。

スキーマが徐々に徐々にこう緩み始めて

 

自分の好きなこととか、

やりたいこととか、ワクワクすることっていうのも、

 

存分に自分にさせてあげたというか、そういう経験がすごいできて、

シャドの統合をしていけたです。
 

>野口さん

シャドウっていうのは何かと言います。

自分にとって好ましくないと思える感情、 好ましくないと思える欲求性質、

そういったものを僕たちは無意識感に抑え込んでいるんです。

 

そうやって無意識化に抑え込まれたものをシャドウといいます。

 

例えば 

人生前半は一面的な価値観でもやっていけるって話を冒頭にしましたが

例えば、常に自分はポジティブに生きるぞっていう価値観で頑張ってる人は、

自分の中のネガティブな感情を、 亡き者にして

シャドウ化させてる可能性があります。

悲しいとか、寂しい、不安だとか、虚しいとかですね、
そんな感情なんて自分にはないっていう

抑圧してるとしたらそれはシャドウなんですよね。

 

とすると、

自分の身近な人が 悲しんでたり、不安がってたり、

寂しがってたりすると、相手を変えたくなっちゃうんですね。

 

それは、この人らしくないと、

 もっとポジティブになりなさいよっていう言いたくなっちゃってですね。

相手を変えようとしてるわけですけど、

それはなぜかというと、

実は自分の中に抑え込んでる
自覚できないとこまで抑え込んでるシャドウを目の前の人に投影してですね。

本当は、自分の中にもあるものなんですけど、

 その悲しみとか、寂しさとか不安とかですね。

抑え込みたくなっちゃってるわけですね。


だけど、人は自分の内面に対する自覚が深まっていくと

待てよ、実は自分の中にも悲しみ、不安。恐れや虚しさがあるんじゃないか

そこを重要できるようになり、

周りの人が悲しんでる時に、

すごい高い共感力を持って、

悲しいんだねと寄り添えるようになるのです。

 

 

冒頭でおっしゃられたように、

・人に人に嫌な思いをさせてはならないとか、

・自分はも頑張らねばならないっていう

スキーマで生きてこられたので、

あの自分の気持ちに素直に表現するとか、

 嫌なことやというやりたいことをやりたいって言うっていう

欲求をシャドウ化させていたっていうことですよね。



そういう妹さんを通して、

私にとって取り入れることができる で、

むしろ私が実現できなくなったことを

この子が実現してるんじゃないかっていう風に、
自分の中のシャドウを受け入れ始めたってことですよね。



自分の気持ちに素直に生きるってこと

まさにシャドウの統合と言われる プロセスですよね。

 


妹さんに対しても、随分見方が変わって、統合が起きて

 

自分の宝として、もうほんとしやかにたくましく生きていくことができるんだ。

その花みたいにってすごくそれに励まされて、

それにも でやっぱり今思うと、

そういう痛みとか、悲しみとかを知ったからこそ、

人の痛みとか悲しみっていうのにも こう寄り添えるような、

少しはそういうことができるような人間になってきたんじゃないかって思って。
 

今日のね、テーマ、自分の本質に出会うプロセスっていうことで、

喪失体験が人生に恩恵をもたらしてくれるっていうことですけど、 

僕たち大切なものを失う体験っていうのは、人生の中必ずあります。

けれども、 どんなに大切なものを失っても、

必ず残るものがあるんですよね。もう全てを失ったように思える時ですらも
残ってるもの、それが自分の本質であり、自分の命であり、まさに自分の存在、ビーイングなんです。

 

 

私の本で、文庫本になってるんですけども、最高の自分を作る

新眼力という本なんですけど、 

この本にですね。

特別収録で、人生は引き算で輝くという

以前これ単行本で出てたやつを、文庫本に特別につけてるんですよね。

この人生は引き算っていうのは、

まさに喪失体験のことなんです。

 

 

このあと 韓国語で出てた時のサブタイトルが、本当の自分に目覚める話っていう

サブタイトルだったんですつまり、僕たちは失うこと。

喪失体験、引き算によって、初めて目覚めるものがあるんですよ。

だから、失うことを恐れなくてもいいんです。 
どんな時でも、命が喜ぶような、

そんな生き方があるんですよ。っていう、

そういうことを書いた本なので

もしも今日のテーマ 喪失体験によって人はこう気づいていくんだっていうこと

関心がある方にお勧めの本でした。

 

今日はありがとうございました。

 

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