DJあおいさん、凄ッ!

結論から言うと、怒られて育つ人などいません
それがどんな正論でも
怒ってしまったらもう台無し
『何を言うのか』よりも『どう言うのか』の方がコミュニケーションの比重は大きいんです


怒られると恐怖心を植え付けられます
自分の考えで行動することに恐怖心が付き纏うようになるんです
それは自分の考えを否定されるようなもので
自尊心を傷つけられることになってしまうんですね
ですので怒られている人は次第に自主性が奪われていくんですよ
考えることを放棄して誰かに従うだけの傀儡になってしまうというわけです
常に誰かの顔色を伺い、誰とも本音を話せず、精神的に孤立して気を病んでしまうこともあるんですよ

その価値観は『怒られること』と『怒られないこと』の二極化になってしまい
『怒られないことは悪いことではない』と善悪が自分で判断できなくなるんです
論理感が欠如して『見つからなければOK』という考えになってしまったり
怒られないための嘘だけが上手になってしまったりするんです

何より最も怖いのが怒られて育った人は自分より弱い者を怒りで支配しようとしてしまうんですよ
自分がされたことをそっくりそのまま弱者にしてしまうようになり
それがモラハラやいじめ、またはDV等に発展してしまうことも珍しくありません
『怒る』ということは百害はあっても一利もないものなんです

もう一度言いますが、怒られて育つ人などいません
怒られても育つ人の陰ではそれを上手にフォローしている人がいるんです
そのフォローによって育っているだけで
怒られたことによって育っているわけではないということ
それを勘違いして『おれが育てた!』という人もいますが
それは図々しい思い上がりでしかないんですよ

人は言われた通りには育たない生き物です
人の真似をして育っていく生き物です
怒って育てれば人の弱みを見つけ怒る人になるだけ
人は人の見えている部分を真似て学んでいくもの
人の良いところが見えなければ
自分にとっての教材がないに等しいものなんですよ

人の心は
怒っても動きません
叱っても動きません
褒めても動きません
人の心は
感謝で動くんです

上から圧を掛けるわけでもなく下から媚びるわけでもなく
同じ目線に立って言葉を掛けてあげることが大事

その人に助けられたら素直に『ありがとう』と感謝すること
その人がよい結果を出したら自分のことのように共に喜んであげること

叱るとか怒るとか褒めるとか
それ等は全て上から目線の支配
その人の意思を損なうことなく
自主性を発揮させる唯一の手段が
『感謝する』
ということですね

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音声を盗聴できる──。          

 

電球の微妙な振動が引き起こす光の出力の変化を測定することで、会話の内容や音楽を認識できるほど

クリアな音を傍受できるという。

 

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順調じゃなくていいから♪

天才じゃなくていいから♪

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