マンガ拓 「山崎拓巳★やる気の秘密」 noteで公開中!!

 


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山崎拓巳がHimalaya音声の中で話している「やる気の秘密」についてを、
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『長い目で見れば、

 

  努力のない才能よりも、

 

  才能のない努力のほうが、

 

   より多くのことを成し遂げるものだ。』

 

 

  (ジョン・ラボック イギリス銀行家)

 

そうなんだよな〜

そうなんです。

 

才能は短距離選手。

努力は長距離選手。

努力されない才能は不幸です。

 

日本人はこの30年間

周りの雰囲気に甘えて努力してこなかったのかも・・・

 

もったいない。

人生、一回だから、もったいない。

 

よーし!!!

やってやるぞ〜ってあなたがなれば

全く違う結果が出ることを知っていますよね?!

 

もったいない。

もったいない。

 

あなたが

あなたに

失礼です。

 

もったいない。

もったいない。

 

あなたが

あなたを

やる気にさせてください!

 

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JAL、欧州、アメリカ向けLCC計画!!
https://ameblo.jp/noda7/entry-12447094003.html

春闘、賃金上げ多し。
https://ameblo.jp/noda7/entry-12447093148.html

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サブロー通信:球春迫るより

 

「涙の意味」・・・スゴイです。

文章が苦手な人は、赤い文字だけ読んでください・・・
↓↓↓

 

今年の春は、母校・桐蔭学園が久しぶりに甲子園に出場します。
また、大学の早稲田大学では、同期でプロ野球や大リーグでも活躍した小宮山悟氏が監督となり、采配を揮います。
この歳になって、また、母校の野球部を見守ることができるのは、本当に心躍ります。

小宮山氏がプロ野球を引退したときに書いた記事を少し直して、書いてみました。
2009年9月30日に書いたものです。
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私事で恐縮ですが、ロッテの小宮山氏とは同級生でした。

小宮山投手は89年のドラフトの時、早稲田大学の20勝投手としてドラフト1位でロッテに指名入団。93年に開幕試合から6試合連続の完投勝利というプロ野球記録を樹立。97年には最優秀防御率を記録した。その後、横浜、ニューヨークメッツを経て、再びロッテに復帰。
その計算された投球と制球力で『精密機械』と呼ばれた。

小宮山氏は千葉の芝浦工大柏高校から早稲田大学に入ったが、まったくの無名投手でした。
大学に入るのに2浪していることが、それを物語っています。
私も大学の野球部に入るのに2浪していて、歳も一緒の同級生ですが、
同じ部分はそこだけで、小宮山氏の努力と才能は人並み外れていました。
手足が長く、躍動感のある投球と制球力は当時から抜群で、
大学2年から本格的に頭角を現し、明治大学を1失点完投したのは素晴らしかったと思います。
3年生の時、26年ぶりに復帰した「練習の鬼」と異名をとる石井連蔵監督の元、
シュートとスライダーに磨きをかけ、勝ち星を重ねることになります。

少し話が反れますが、私が大学に入学する年は、PL学園の桑田投手が早稲田に来ると言われた年でした。

結局、巨人軍にドラフトされて入団。早稲田への入学を蹴ってしまいましたが、いわゆる「桑田事件」の年で、我々は桑田投手と幻の同級生の時代です。

もし桑田選手が早稲田に来ていたら、果たして、周りの人にどのような影響を与え、何人の人の人生を変えてしまったのだろうかと思うことがあります
同時期に早稲田で育った人にとって、大きな影響を与えたであろうことは確かだと思います。
(ただ、ちょっと今回は突っ込んで書くのをやめておきます。)


以下、ウィキペディアの情報

小宮山と慶應義塾大学の大森剛(巨人→近鉄)との対決は、早慶戦の華と呼ばれた。
大森は、3年の春にはリーグ打率の更新、秋には2シーズン連続首位打者が期待されていたが、
そのいずれも小宮山によって阻止されている。
しかし、その秋の早慶戦ではチームの勝利優先のために大森を敬遠、慶應側スタンドからの野次に思わずマウンドで涙したという逸話も残っている。

このウィキペディアの情報は一部間違っているので訂正したい。

小宮山氏が涙したのは、大森と勝負したい気持ちに反した、敬遠のサインが悔しかったからではありませんでした。
当時3年生投手の小宮山氏、キャッチャーは4年生の相田氏。
本来、最終学年で最後の早慶戦で勝ちにこだわりたい相田捕手が、初めて監督の敬遠の指示を無視し、小宮山氏に勝負の

サインを出したからでした。

相田氏は、「勝負しろ」とのサインを頑なに出すが、それを小宮山は首を振り敬遠をリクエストしました。相田氏は

それでも、勝負のサインを出し続けた。試合の勝負ではなく、小宮山氏の投手としての勝負に賭けていました。


相田氏の心意気がうれしく、しかし、監督の指示を無視することもできずに、マウンドでプレートを外し、涙した。

首を振り、涙する姿が、「敬遠を悔しがっている」ように一般の人にみえてしまったのは当然かもしれません。


もう、20年近く前の話(当時の文章)であるが、私はたまたまレフトを守っていて小宮山氏のマウンドを見ていました。
キャッチャーを指さし、マウンドを外した小宮山氏に何があったのかなと感じていました。

私は、会社の社員に「プレーヤーになれ」と言っています。プレーヤーは批判にさらされます。
失敗をすれば誰もが分かります。数万人、テレビを見ている人を含めれば、数百万、もしかすると
数千万人の人のから失敗の評論を頂くことになります。
しかし、プレーヤーはその責任に自ら応えなければなりません。
それがプレーヤーです。評価される側の人間です。そのことに生きる価値があると思います。

ただ、プロ野球においては、私は20年もの間、応援側の人間をさせてもらった。
20年、応援させてもらったことには本当に感謝したい。小宮山氏、お疲れさん。

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監督として、新たに批評にさらされることになりますが、頑張ってください 我々は、味方です!

 

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面白い記事ですね。

「涙の意味」・・・スゴイです。

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これ、ビールで割っても美味しい!!!