日本でイノベーションが起こらないのはなぜか?

ある投資家の答え


という文章を読みました!

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/57806

お時間がある人は読んでみてください。

読んでみて感じたのは

最近セミナーでお伝えしている通り

「変態であれ!」です!!!

 

みんな同じ〜

が大切にされてきた日本にて

ひとり、面白い存在になろうとすると

周り方、卑下されたり、攻撃されたりします。

 

しかし、

もう、そんな時代は終わったしまったのです。

それでは他の国々に置いてきぼりをくらうのです。

 

 

イノベーションとは、

要は

「人と違うことを考える」

「これまでとは違った新しい発想をする」ということです。

 

 

そうなんです。

違うことを考え、違うことを思いつくことなんです。

 

周りと違うことを怖がらないでください。

周りと同じことを恐れてください。

 

山崎拓巳

 

 

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日本でイノベーションが起こらないのはなぜか?

ある投資家の答え

 

10.22 15:50現代ビジネス

(文・岩崎 日出俊)

 

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投資・経営コンサルティング会社

「インフィニティ」の代表にして、

 

『文系が20年後も生き残るためにいますべきこと』、

『残酷な20年後の世界を見据えて働くということ』などの

著作がある岩崎日出俊氏。

かつて国内最高峰の金融機関だった

日本興業銀行(興銀)を45歳で退職し、

J.P.モルガン、メリルリンチ、リーマン・ブラザーズなど

海外の投資銀行でマネージング・ダイレクターを務めた

同氏は、

 

日本の伝統的大企業はもはや

「イノベーションを起こせない」と憂い、

投資家として冷徹に評価すれば

「先行きは暗い」と危惧する。


そうした日本で、

しかも現存する多くの仕事が

人工知能(AI)に代替されると予想される近未来にあって、

いまの20~30代はどうすれば生き残れるのか。

 

岩崎氏に若いビジネスマンが身につけておくべきスキル、

そして「世界標準」の投資方法について尋ねた。
 

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世界から相手にされない日本人


「10年後、20年後の日本に希望はあるか?」

この問いに投資家として客観的に向き合ったとき、

私はどうにも悲観的にならざるを得ません。

象徴的なのは、昨今のシリコンバレーにおける

日本企業の「扱われ方」です。

 

シリコンバレーには先進国・新興国を問わず

世界各国の企業が見学にやってきます。

 

しかし日米双方の関係者から私が聞いたところでは、

最近はシリコンバレーの企業を

訪問・見学したいと申し入れた日本企業が、

相手先企業からすげなく

断られてしまうケースが増えている、といいます。

これが20年前であれば、

東芝や日立、パナソニックの社長が

Appleを見学しに行きたいといえば、

スティーブ・ジョブズが自ら出迎えてくれたでしょう。

 

Appleと、技術力のある日本のメーカーがコラボすれば、

世界にまだ存在しない、

何か新しいビジネスができる期待が十分に持てたからです。

しかし今のシリコンバレーにそうした空気はありません。

彼らからすれば、日本の大企業に来てもらったところで、

もはや教えてもらえることはなにもないし、

ギブアンドテイクが成立しない以上、

会うのは時間のムダだということになるのです。

なぜこんなことになってしまったのか。

一言で言えば、

アマゾンやGoogleなどのグローバル企業が

文字通り血の滲むような努力をして

イノベーションを起こそうとしているのに対して、

日本企業はイノベーションや「創造的破壊」といった言葉を

口先では好む割に、

実行が伴わないことが知れ渡ってしまっているからです。
 

アマゾンが本社敷地内に「植物園」を作った理由


アマゾンは今年1月、

シアトルにある本社キャンパスの敷地内に

「The Spheres」と呼ばれる

ワークスペースを開設しました。

この建物は3つの球体(sphere)を合体させたような形状の

ガラスドームで、最も大きい球体は高さ約27メートル、

直径約40メートル。

内部は3700平方メートルの温室になっており、

世界の50以上の国から集められた4万本もの木が

植えられているほか、川が流れ、滝もあります。

水槽では魚が泳いでいたりします。

ここをAmazonの従業員が散歩してリラックスしたり、

コーヒーを飲みながらミーティングをしたりするそうです。

こんな建物を

なぜアマゾンが巨費を投じてつくったかといえば、

同社の総帥であるジェフ・ベゾスCEOが、

アマゾンの企業価値を高めるために何よりも重要な資産は、

従業員が生み出すイノベーションにほかならない

考えているからです。

同時に

そのイノベーションの元になる革新的なアイディアは、

従業員をオフィスで何時間もパソコンに

しがみつかせたところで、

あるいは会議室で延々会議させたところで

絶対に生まれてはこないものだという

信念を持っているからです。

「社内にアイディアが育まれるプロセスというのは、

意外にぐちゃぐちゃなもので、

頭に電球がともる瞬間などありません」

 

―――ベゾスは評伝

(ブラッド・ストーン著

『ジェフ・ベゾス 果てなき野望』)の中で、

現在アマゾンの営業利益の50%以上を稼ぎ出している

クラウドコンピューティングサービス

「アマゾンウェブサービス(AWS)」の開発過程に

言及してこう言っています。
                   
ご存知のように、AWSは最初から

クラウドサービスの提供を想定して開発されたわけではなく、アマゾンが自社で扱う大量の商品の在庫管理やデータ分析を行うために構築したインフラを、一般ユーザーや他の企業向けに公開したのが始まりでした。

いわば「棚ぼた」的に生まれ落ちたサービスを、

試行錯誤しながら巨大なドル箱に育てていったのです。

これに限らず、

アマゾンという会社の歴史は

失敗と試行錯誤を絶えず繰り返しながら、

ドローンを利用した配送サービスなど、

現在もイノベーションを起こそうとトライし続けています。

 

そのように苦しみながらアイディアを出し、

育てていくことの重要性を知り尽くしていればこそ、

ベゾスは従業員たちに、

少しでもアイディアが生まれやすい環境を

提供しようとしているのでしょう。
 

イノベーションを生み出す「余白」


アマゾンが

イノベーションを起こすために行っている取り組みは

「The Spheres」だけではありません。

同社は英国に3つの研究開発部門を擁していますが、

そのうちのひとつであるエジンバラの研究施設では

2週間に1日、

スタッフが自分の担当業務とは関係なく

なんでも好きなプロジェクトに取り組める

「アナーキーフライデー」と呼ばれる日が

設けられています。

 

これまでにAmazonから生まれた発明のうち

特に重要なものは、

このアナーキーフライデーをきっかけにして

生まれた例が多いと言われています。

ただこの取り組み自体は、

アメリカ企業では一般的だったりします。

 

たとえばGoogleには、

社員が一日の勤務時間の20%は業務以外のことに

費やしてよいとされる「20%ルール」がかつて存在し、

同社の主力サービスである

「Gmail」や「グーグルマップ」は、

いずれもその時間から生まれています。

こうしたカルチャーの源流は、

おそらくはアメリカの化学メーカー「3M」にあります。

 

3Mには昔から、

一日の勤務時間のうち15%は業務以外の

自分の関心のあることに使わなければいけないという

不文律があり、1980年に同社が発売し、

いまや糊付き付箋の代名詞となった「ポストイット」は、

3Mの社員が

教会の讃美歌集の頁のしおりになるものを探していて、

毎日の「15%」の時間を利用して

開発に漕ぎ着けたものでした。

このような「余白」を業務時間の中に設けるのは、

今の日本の企業文化では

なかなか持てない発想だと思いますが、

それ以上に日本の企業人にとって耳が痛く、

また導入も難しいのが、

アマゾンにおける「関係部署間の調整」でしょう。

 

同社ではジェフ・ベゾスの方針のもと、

これを単なる

時間と労力のムダとして切り捨てているのです。

ひとつのプロジェクトを進める上でいくつもの部署を跨ぎ、

関与する人員が

増えたところでお互いのコミュニケーションに

エネルギーが割かれるばかりだし、

せっかくのアイディアだって多人数で議論をすれば

いつの間にか無難なものになってしまう。

だから部署間のコミュニケーションは少

なければ少ないほどよい、というわけです。

私も日本の銀行で働いていましたので、

日本のビジネスマンが上司への報告や相談、

あるいは関係部署との根回しに

どれだけ時間やエネルギーを割いているか

またこれらの業務にいかにムダが多いかは

よく知っています。

しかしスタンドプレーが嫌われ、

責任も成果もなるべく広く薄く分かち合うことが

好まれる日本の企業文化にあっては、

実際に関係部署間の調整をオミットしようとすれば、

各方面から猛烈な反発が返ってくるでしょう。
 

運動会と「均一性」


イノベーションとは、

要は

「人と違うことを考える」

「これまでとは違った新しい発想をする」ということです。

 

その意味で皆が均一性を志向し、

他人と違うことを怖がる同調圧力ほど

イノベーションを阻害するものはありません。

日本人が均一性を好むということは、

日本人論としてよく語られるものでもあり、

それを克服すべきと考えている人も少なくないと思います。

 

ただ私は、

日本社会に刻み込まれた均一性の呪縛は、

私たち日本人が自分で考えているより

ずっと根深いものかもしれない、と思うことがあります

私の見るところ、

それを何よりも象徴しているのが「運動会」です。

 

実はこの運動会、

学校などで教育の一環として行われているのは

日本と北朝鮮、

そして韓国や台湾、中国東北部(旧満州)の一部だけ

であるということを、皆さんはご存知だったでしょうか?
 

昔はそれでよかったが…


私は高校時代にAFS交換留学生として

アメリカ・カリフォルニア州で1年間過ごし、

社会人になってからも2度にわたって合計7年間、

アメリカで勤務しました。

 

この間、

自分の子供も現地イリノイ州の

小学校に通わせていたのですが、

 

この時、アメリカには日本の運動会に

相当するものがないことに気づきました。

「フィールド・デイ」と称する

自由参加のかけっこや障害物競争を行う

イベントはあります。

 

しかしそれは日本のように

全員参加型の規律正しい整列や行進を伴う

運動会とは全く異質のものです。

アメリカから帰国後、

私はアメリカの他の州やヨーロッパ各国、

ニュージーランドなどに駐在した経験のある人たちに

かたっぱしから尋ね、

 

また各種の資料にも当たってみたところ、

赤組、白組といったような形で全員がまとまって

勝利を目指すような運動会が行われている国は、

他には北朝鮮、韓国や台湾、中国東北部の一部にしかない

ということがわかったのです。

そもそも日本において学校行事としての

運動会が始まったのは、

初代文部大臣の森有礼が1885年(明治18年)

全国の小中学校の体育授業に「兵式体操」を導入し、

 

さらにその成果を公表する場として

運動会の施行を奨励したのがきっかけでした。

森は、軍隊式の集団訓練を学校でも行わせることで、

皇軍兵士に必要な「順良」「信愛」「威重」という

三つの気質が養われると考えていたそうです。

つまり日本では、

明治期の富国強兵政策の一環として行われていた

運動会が戦後も引き続き行われており、

日本が植民地にした朝鮮半島では、

金日成とその一族が独裁体制を敷いた北朝鮮でのみ

戦後も引き継がれました。

韓国でも日本の統治時代の影響で運動会は残りましたが、

その後「日本軍国主義の遺物」と批判され、

廃止となるケースも多く、

また台湾では赤組、白組に分かれて戦う形式ではなく、

個人参加型のものに徐々に変わってきているといいます。

運動会に限らず日本社会には、

明治政府が富国強兵政策を効率的に行うため、

つまりは国民を

均一性の高い兵士・労働力として

育成するために始めたことを、

無意識のうちに今も続けている例がたくさんあります。

中でもわかりやすいのは、

やはり日本にしかない新卒一括採用。

これは日本が戦争中に始めた制度で、

1941年の労務調整令によって、

 

「国民学校の新卒者は国民職業指導所の紹介によらなければ就職できない」とされたことに端を発しています。


日本独自のこうした諸制度の多くは、

列強に対抗しうる軍隊を大急ぎで作る必要があった

明治期の日本には必要なことだったのでしょうし、

 

安くて質の高い工業製品を大量に製造し、

海外に売っていくことが新たな国家目標になった

高度成長期においてもごく有効な手法だったのでしょう。

しかし新興国の段階をとっくに終えた日本が

今後他の先進国と競争していこうというなら、

もはや均一性を重視するこのやり方は通用しません。

 

日本としてはこれから先、

イノベーションにより

付加価値の高い商品・サービスを作り出していくことが

どうしても必要になってくるのです。

そう考えれば、

「イノベーションだ」

「創造的破壊だ」とわかったようなことを口にしながら、

 

その一方では均一性を刷り込むために始まった運動会を

相変わらず学校行事として受け入れ、

子どもたちに組体操をさせているのは

喜劇でしかありません。

極端な話、

トップが「創造的破壊」を掲げている会社で、

「団体としての結束力を高めよう」として

全員参加型の「社内運動会」が行われている、

なんてことがあるかもしれないのです。

最近ではIT企業が数社合同で運動会を開催するなど、

社内運動会はここにきて復活の兆しがあるそうですから、

これは決して笑い話ではありません。
 

異端児を受け入れられない国に未来はない


現在スマートホンの基幹部品となっている

NAND型フラッシュメモリを発明したのは、

元東芝のエンジニア・舛岡富士雄さんであり、

舛岡さんはこの功績によって、

ノーベル賞開催の時期には必ず候補として名前を

挙げられるほどになっています。

 

しかし舛岡さんは、

東芝入社後は地方の工場勤務に回され、

必ずしも自分がやりたい研究ができる環境には

恵まれなかったそうです。

大企業の地方工場だと、

休みの日もそれこそ運動会など、

会社の行事がたくさんあります。

 

舛岡さんがそうした行事に

どの程度かかわっていたのか

実際のところはわかりませんが、

 

基本的に休みの日は一人で寮の部屋に閉じこもり、

自分の専門分野の研究に没頭していたそうです。

結局、舛岡さんが休日に寮に籠もって論文と格闘し、

その後開発に漕ぎ着けたフラッシュメモリは、

東芝の収益の大半を稼ぎ出す主力商品になりました。

 

しかし舛岡さん自身はこれだけの功績をあげながら、

東芝では

部下・予算がつかない「技監」というポストに

追いやられ、研究を続けることができなくなり

退社せざるを得ませんでした。

同調圧力が強い日本にあっては異端児として扱われ、

しかも功績に見合った処遇を諦めるくらいでなければ

イノベーションは生み出せないということを、

舛岡さんのエピソードは物語っています。

協調性を生み出すという意味では、

運動会にも意味はあるのでしょう。

 

しかし、

昨今ではその側面だけが

強調され過ぎているように思えます。

企業はもちろんですが、

まず、全国の小中学校で従来型の運動会を廃止する。

 

突飛に聞こえるかもしれませんが、

そういうところから変えていかないと、

この国はいつまで経っても

「均一性の呪縛」から抜け出せないのではないか…。

私はそう思うのです。