大好きなブロ友さんの記事で
食事療法にお母様が食事の支度に
毎日来て下さるってのを読んで
母の子供への無償の愛を感じながら
私にも似た事が有ったなぁって…
記事で書くのは初めてなんですが
9歳になる歳の2月頃*私の足や背中等に
小さなプツプツが…
広範囲では無くホンの一部分
痒くも痛くも無い気にもならない程のプツプツ
温もると出て冷めると消えてる…
チョッとクセモノ???
って母が気になり出したのは春休み前
お休みに入ると病院も混むからって
近くの開業医を受診
特に気になる様な湿疹でも無いし大丈夫
って言われて帰るも数日後に激痛
何処が??って聞かれてもピンポイントでは分からない
タダ痛くってしんどくってゴロゴロしてたい…
またまた同じ開業医(かかりつけ医)を受診…
先生の診立ては変わらず
食べ過ぎ*便秘*遊びすぎ??
3年生になって新しいクラスに新しい先生
子供にもイロイロ有るんでしょうと…
子供ながらに先生に診て貰うと治った気が
でも今まで元気だけがとり得な私が
学校から帰るとゴロゴロ
テレビを見るのも寝っ転がってる
気になった母が聞いてくるけど
子供な私は聞かれても答えれずゴロゴロ
今度は市立病院へ行く事に
その後長くお世話になる事になる
U小児科部長に診て貰い
今度は驚きの即入院
歩く事も許されず車椅子で
この後自分の足で(公に)歩けたのは2年後でした
病名は
アレルギー性血管紫斑病腎炎
10年はかかると言われました
実際にカルテにつらつら書かれた私の病名は
もっと長くとても覚えれませんでした
発病から時間が経ってた為
命の危険もあったそうで
この日から疲れる事は一切禁止
TVはモチロンお話する事も時間が決められ
ベットの上での絶対安静
座れたのは1年後
寝返りもダメで真上を向いて寝とく様にと…
血管が弱ってるため急な血液の動きが危険やったんです
腎臓も酷く悪かったので食事制限もすさまじく
トレーに乗った私の食事を見た母は泣いていました
丸いお皿に砂糖汁で茹でた卵の黄身のみ
コレが夕飯です
病院食以外はお水*お茶も自由には飲めません
2*3週間経った時ガリガリになった私に
明日からお母さんがご飯を持ってくるわなっ て
栄養士さんの指導を受けながら
退院するまでの2年8ヶ月*昼夕飯は毎日欠かさず
病院の献立通りに作って来てくれました
自転車では時間がかかると
単車の免許も取って雨でも雪でも運んでくれました
初めから大きな病院に連れて来んかった私のセイやって
母はずっと悔やんでたんです
難病疾患の手続きでは
いつも気丈な母ですが
書類に書かれた私の誕生日はどれも違い
相当パニックやったみたいです
先生は3年の入院で済んだのは奇跡やって
その後*無事退院したものの
抵抗力の無い私は結婚までに何度入院した事か…
大学病院で検査をしてもらった時
先生に腎臓の3分の2は機能してない事
人の半分しか生きれないであろう事
結婚生活*出産もできない事等々を告げられ
落ち込む私に
人の寿命なんて自分で決めれるもので無いけれど
何でも悲観的に捉えず
自分の人生*自分しだいやでって
ソノ部屋を出る時には
私の中にあったモヤモヤも払拭され
新しい人生が切り開かれた気分でした
実際*結婚もし坊主も産みました
モチロン節目にはチャンと検査もしています
落ち込み前を向けず暮らす日々は私には向かない
どうせ短い人生なら毎日楽しく後悔無くです
ソレもコレも超プラス思考*楽観主義な母のお陰やと思っています
ダラダラとつぶやいてしまいましたが
最後まで読んで頂いた優しいお気持ちに感謝です