乳がんで会社退職 | Happiness began☆~乳がんは人生の一部だから~

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2015年2月の健康診断で左胸にしこりがみつかり、4月2日乳がん告知!温存手術・放射線治療を経て、2020年7月ホルモン治療終了。
ステージⅠ 1×0.6×0.9 ルミナールA ≪HER2 1+(陰性)、ER 75%、PgR 75%≫ Ki67値 LI:10~20%未満 センチネルリンパ節 0/1

前から書いていた通り、休職をもくろんでおりましたが、

本日・・6月25日付で退職を言い渡されました。


乳がんについての大きな誤解があったり、

放射線療法やホルモン療法への解釈の違い・・・

退職になることより、そういうことに大きなショックを覚えました。


社長(45歳)は、お母様も乳がんであり(全摘・放射線なし、ホルモン療法なし・抗がん剤なし)、

お父様も肺がん(放射線・抗がん剤)た。

私の乳がんについてとても親身になっていてくれたはずでした。

今日、やっと病理検査の結果を話すことができたのですが、

意外な答えが返ってきました。


村西社長治療が必要なのか・・。

  温存だから放射線?全摘じゃなく、温存と放射線を選んだんだね。

  放射線治療は最初はすごく辛いんだよ。


心結ママ先生が部分切除でおっぱい残そうって言ってくださったんです。

  医学の進歩です。

  それに乳がんは臓器に放射線を当てるわけではないので、

  肺がんの放射線とは副作用の出方も重さも違います。 


村西社長うん。でも、僕見てきたから。


ああ、この人アホや~~って思いました。

ある有名な保険会社の支店長してた人なんですけど・・。

村西社長3か月どうなるかわからない状態でいるより、ここで区切りをつけよう。

  職場のみんなも、どうなるかわからない3カ月を過ごさなくていいし、

  たくままさんも、治療に専念できるでしょ。


私は3カ月の休職を希望しましたが、受け入れられず、晴れて無職への第一歩を踏み出すことになりました。


23日は午後から出勤(午前中は放射線科の初受診)

24日、25日は不明ですが・・25日は傷病手当の都合上、欠勤せねばなりません。


予告なしの解雇となるので、来月のお給料は出してくれるとのこと。

でも、退職届は出してほしいとのこと。

解雇、会社都合、いろいろ調べたけど・・・

結局、「退職届」提出することにしました。<一身上の都合>で。



現場の人たちが怒ってました・・。

ずっとお世話になってきた工場長も、俺に何の相談もなく、部下を解雇ってどういうことだって怒ってました。それだけでも嬉しかったです。



でも、例の年下女上司は、

社長との話をする前の出勤直後に私に言いました。

「放射線治療、遅らせられないんですか」と。

朝からショックを受けた私・・。

そして、退職が決まって帰り際、

天龍「引き継ぐ人も引き継がれる人も嫌な思いにならないよう、いいように捉えましょう」


はぁ!?です。おまえは慰めることもできないのかっ!

いや、かえって良かったって思ってる発言ね。

なので言ってきました。


心結ママ「私は別に大丈夫よ。想定内だしww。なんかスッキリした~~。明日は午後来るけど、24日、25日は来ないよ。23日に保険証も返せっていうし、実質、23日まででいいってことでしょ。」って。

(※退職日に出勤すると、傷病手当もらえなくなっちゃう)


天龍「でも、それは24日、25日来れるかわからないからですよね。」


心結ママ「うん。でも、来ない。23日に保険証返すから、24日も25日も来ない。」


あのね、退職言い渡されたのは私なの。

それも不本意な病気になったことで。

怨むなら、病気を怨め。



さて、任意継続で今の社会保険に入ったままにするか、

国民保険にするか・・・どっちがお得か考えなくちゃ。



もうね、6/25退職になって、何をしないといけないか考えなくちゃいけないの。

もう、別世界の人なの。


それにしても、放射線治療を始るときに、保険が変わるの・・面倒だ~叫び






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