2年前に養父が他界しました。

 

1920年の大正9年生まれ

 

享年102歳でした。

養父は、母方の父で

僕が10年ほど前に家を継ぐことになり・・・

 

 

と、ややこしい家庭環境なのですが

 

石崎姓は母方の苗字であり

僕が石崎を名乗り始めてから

まだ10年ぐらいしか経っていません

 

ずっと祖父と孫の関係だったので

養父が亡くなるまで特に父子という

間柄でもありませんでした

 

 

 

 

祖父は(こっちの方がしっくりくるので)

 

 

中国語が堪能で

戦前は北京で大陸浪人(という活動家)を

目指したこともあったと聞いています

 

大東亜戦争の時は

 

陸軍に入隊し

通信将校としてラバウルなどの外地に

従軍してました

 

退役時は大尉だったので、

以後軍人恩給もそれなりにもらっていて

 

お金に関しては

それほど大変ではなかったようです

 

もちろん、若い頃はかなり苦労されてた

みたいですが

 

特に復員した時は、お金がなかったらしく

浜茶屋を営んで、食い繋いでいたと

聞いています

 

 

晩年は、中古の分譲マンションを購入し

祖母が他界してからも一人暮らしをつづけ

 

最後は自宅で亡くなりました

 

僕が石川に移住したのは

最晩年の祖父を介護するためでした

 

同居はしませんでしたが

最後の2年間をひ孫(僕の娘)と一緒に過ごせたのは

 

最後の親孝行として

家を守っていく立場として

それなりに役目は果たせたかな

と考えています

 

いまは、その目的も果たされたので

別に石川にいる必要性も

実はないのですが

 

 

まだ、不動産の処理も終わっておらず

そもそも遺品の整理も途中で

 

 

仕事の合間に

石川での日々を過ごしている

という感じです

 

 

 

 

僕は

祖父の介護という目的から解放され

 

なんとなく彷徨っている感じがします

 

 

 

次の人生の目的もはっきり持っていて

 

僕と妻と子どもを幸せにする

ために一生懸命生きていきたい

 

という想いが、あるものの

 

外国人人材という大切な仕事を持っていて

しっかり務めを果たしたい

 

という想いがあるものの

 

 

彷徨っている感じがします

 

 

祖父の愛した金沢と

祖父の残した遺品と

 

どう付き合っていくか

 

 

今日、不動産屋さんに

祖父の部屋を見てもらいながら

 

そんなことを思ってました。