こんばんは、タクマです!
近年はチャンピオンズリーグ3連覇を果たし、2年前もヨーロッパチャンピオンに
たどり着いたレアルマドリード。
クリスティアーノ・ロナウド、モドリッチ、セルヒオ・ラモスなど世界になだたるメンバーがそろい、
多くのサッカー選手がレアルマドリードで成功したいと思っているでしょう。
しかし、すべての選手がここで成功できるとは限りません。
中にはレアルマドリードに入ったけども失敗してしまった選手たちがいました。
ということで今回は、3人を厳選してお伝えしていこうと思います。
エデン・アザール
まず思い浮かぶのはこの選手ではないでしょうか。
チェルシー時代では切れ味鋭いドリブルを披露し、プレミアリーグ優勝や、
ヨーロッパリーグ制覇に導きました。
それを置き土産に2019年夏にレアルマドリード移籍を果たします。
しかし、入団のせいにお腹周りを見てみるとかなり太っていた様子が見えました。
そして悪夢のようなシーズンが続いていくのです。
度重なる怪我に苦しみ、再発して離脱を繰り返してしまったのです。
結局エル・クラシコの出場はなんとゼロ。
2023年に退団したあと、そのまま現役引退しました。
ジョナサン・ウッドゲート
次に第一次銀河系政策を行っていた選手を取り上げましょう。
ウッドゲートはロビンソン、ファーディナンドとともに、
2000-01シーズンチャンピオンズリーグベスト4に貢献。
「ヤング・リーズ」と呼ばれたチームで活躍しました。
そのあとリーズの財政難を受け、ニューカッスルに移籍。
しかしここでは、けがの影響もあり、パフォーマンスにも安定はしませんでした。
それでも才能は高く評価されており、2004年にレアルマドリードへ。
ところが開幕戦で古傷のけがを負ってしまい、完治することなく、
結局04-05は出場なしに終わりました。
最終的にリーガ出場はわずか9試合のみ。チャンピオンズリーグでも3試合に終わってしまいました。
2007年夏のネット上で「21世紀最悪の契約」に選ばれる最悪の結末に終わったのです。
アントニオ・カッサーノ
最後にイタリアのファンタジスタを紹介しましょう。
現在では死語となってしまいましたが、確かな技術を発揮していました。
ボールを持つと決定的な仕事を果たし、卓越した技術を持ち、
ファンから「バーリの宝石」と言われました。
2001年6月にイタリアの名将、ファビオ・カペッロに出会います。
何度か衝突を繰り返しましたが、それでもカッサーノを信頼し、
トッティとともに攻撃の中心選手に成長しました。
そのあと、契約更新が進まず、2006年1月にレアルマドリードへ。
しかし調整不足から結果を残せず、マスコミからも大きな批判を浴びました。
「マドリードはブラジルのブタ(ロナウド)だけでなく、
イタリアのブタ(カッサーノ)もつれてきた」と酷評しました。
2006年夏にカペッロ監督と再会し、体重の問題改善にも成功。
調子を取り戻すことに成功します。
しかし、カペッロ監督を侮辱する言動を行ったことで、練習参加禁止処分を
受け、戦力外になり、2007年にサンプドリアへ去ってしまいました。
いかがだったでしょうか?今回の記事で移籍の失敗談がよくわかりましたね。
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ではまた次でお会いしましょう。それでは。