野口卓磨のブログ -3ページ目

Lockdown Day 14 「The first sleepless night」


昨夜はついに、初めて一睡もできませんでした。
全く眠くないんです。
これには本当に驚きました。

なので、
シャワーを浴びて、
パン屋に行き、
バゲッドとクロワッサンと、ついでにパンオショコラを買い、
スーパーで3割引のひき肉を買って帰り、
今一番飲みたいのはコーヒーなので、
眠りたくてもコーヒーを入れ、
パンを黙々と食べました。


自分の中で日に日に大きくなっている不安は、
日本にいる両親と家族のことです。
そして、もうとっくに感染していて、今は潜伏しているだけなのではないか?
すでに誰かに感染させてるかもしれないという不安です。

幸い天気は良いので、
体を動かしたくなりました。
以前公演で使った曲をかけて、
少しずつ体を動かす。
踊る。

それでも体が重かったので、
ダンサーの武井琴ちゃんに送ってもらった「自力整体」の音源をかけました。
懐かしいイントロ。
甦る、城崎での時間。
久々に聴く、矢上先生の声。
矢上さんは当然のことながら、「久しぶり!」とは言わない。歳もとらない。
そもそも自分の事を知らない。
ただあの時と同じように、淡々と整えるのをナビゲートしてくれる。

胸骨が楽になり、内臓が刺激され、頸椎の可動域が広がったことで、頭がスッキリした時、
突然睡魔が。
チャンス!
2時間くらい寝られました。

気持ちよく目を覚ましたちょうどその時、外から
「おーい、タクマ!」という声。
クラスメイト2人が自分を心配して窓越しに挨拶に来てくれました。
「これよかったら」と庭で取れたチューリップの花を手にして。
でも手渡しは感染の危険があるので、窓のところにそっと置いてくれました。


創作の方は本日4度目のZOOMミーティングを行い、ようやく次の段階に着手できそうです。
これは情緒不安定な今の自分たちにとっては、大きな大きなステップです。
やりたいイメージは共有したので、それを念頭にまず全員が短いシーンを書いてきます。
台本を書かねばならない日が来るなんて。信じられない。書けるだろうか。
書けなくても書くしかないんだけど。

眠くなってきました。
今日は久しぶりに沢山眠れそうです。


最後に、
志村けんさん、ありがとうございました。
小学生の時、空手の習い事が嫌で嫌で。
でも頑張ったら、録画してある「カトちゃんケンちゃんごきげんテレビ」が観られるので、毎週毎週頑張れました。
家族で沢山笑いました。ドリフの放送翌日は、クラスのみんなと必ず真似しました。
ありがとうございました。
心よりご冥福をお祈りいたします。

Lockdown Day 13 「Air hug」



どんどん朝起きるのが遅くなっています。
でも、体の調子は昨日よりさらに上向いています。

引き続き、規則正しいルーティンを捨てて、目が覚めてる間に好きな事をする。
そのかわり、「1日にひとつだけ些細な事を達成する」。
それが今の自分には精神的な健康を生みます。
それはどんなに些細な事でもかまいません。

例えば、「普段掃除できなかったところを掃除した」
とか、
「コンタクトの保存液を手に入れた」
とか、
「Netflixとか、Amazonプライムの動画配信をこっちでも観られるようにする」
とか。
どれもこの留学には関係ないし、子供のお使いのようなハードルのものです。

もちろん台本を読みたかったら読むし、
英語も勉強するし、
筋トレしたかったらするし、
ストレッチに時間を費やしたり、
振付を思いついたら踊ります(そんな事、日本ではしたこともないけど!)。
大切なのは、それらは自分のやるべき「特別な事」と認識しなくていい、という事です。

自分の身体が今求める欲求に「ただ従う」。
休みたいなら、休ませる。
それが、今、自分の身体に必要なら。
世界に耳を澄ますのと同じくらい、
自分の身体の声を聴く。
それが最も、今の世界に、自分を順応させる賢明な手段だと思います。

おそらく他のクラスメイトも同じで、
グループへのメッセージが、今週になってどんどん減りました。
みんな、この連絡を取り合う生活に疲弊しています。
孤独は嫌だけど、
それぞれの心地よい距離を保つ必要がある、
その事を今全員が自覚しています。
一緒に公演を打つメンバーも同様のストレスを感じています。
そして、「同様の問題をお互いが抱えてはじめている」という事実が、私たちのストレスを軽減してくれました。
一歩前進です。


アメリカとオーストラリアの政府から、帰国者やロックダウン中の国民への補償が発表されたのを受け、今夜2人クラスメイトがこの街を去りました。
なので、私が今日達成した些細な目標は、

「外出は避けた方がいいけど、一生会えなくなる可能性があるクラスメイトの家(1キロ圏内なので問題なし)を訪ね、窓越しに『さよなら』を言う」
でした。
見事達成されました。
とても切なかったですが、1キロ圏外のクラスメイトは挨拶に来られないので、みんなの分まで自分は最後に笑って別れられてよかったです。

2人ともそれぞれの国で、さらに14日間の隔離を余儀なくされます。
自分が聞いた話では(さだかではありませんが)、
アメリカは約13万円の補償をするそうですが、帰国者の隔離中の補償に関しては、まだ言及してないそうです(クラスメイトの話では)。
オーストラリアは、隔離中のホテル代なども政府が負担するそうです。
「これで帰れる!」と嬉しそうに帰っていきました笑 


別れ際、エアハグをしました。
お互いに強く強く、ゲラゲラ笑いながら。
これはこの新しい世界の、馬鹿げた、素晴らしい挨拶です。
信じられないことですが、空気の中に、お互いの触感の記憶を感じました。
稽古の時、触ったり、掴んだり、押し合ったり、投げ飛ばしたり、投げ飛ばされたりしたあの当たり前の触感です。
そんなに昔の事ではないのに、それは、とても懐かしく、素晴らしい感覚だと感じました。
この馬鹿げた挨拶は、
実際に触れるより、相手に触れられたような、そんな錯覚をくれました。

次に会う時は、本物のハグをします。
日本が心配です。
感染者が1人でも少なくおさまることを、祈るのみです。

※ 写真は別の日に、丘を散歩した時に偶然会った別のクラスメイトとした、エアハグです。

Lockdown Day 12 「This is not a sprint」


 ‘If you get one thing done at the end of the day it’s a good day’.

昨日より、少し気分がよくなりました。
スイッチを意図的に切る時間を増やしたほうがいいとわかりました。
この何日か作品のインスピレーションを得るために、小説を沢山探して(本当に本当に沢山)読んでいましたがそれもやめ、ためしに思うままにただ過ごしてみることにしました。
つまり、
好きな時間に起きて、
好きな音楽を好きなだけ聴いて、歌って、
眠くなったら明るくても寝る。
外にでないと不健康だけど、散歩は必ずしなければいなけいものではい。
したい時だけ散歩する。
料理は作らないと死んじゃうから作る。
そこは絶対がんばる。
でも不味くても落ち込まない。
うまく料理できたらその事を祝う。
口に出してみる。
「お、うまいな!」と。


「何かをし続けなくては!」という使命感は、強迫観念に近い危機感からくると、この2、3日でよくわかりました。
この新しい生活は、短距離走ではなく、マラソンだと自分に言い聞かせる必要があります。

ロックダウンが起きてから最初の1週間は、とにかく、世界の音を聴く時間でした。
世界の混乱、新型ウイルスに関する新たな情報、日本の情勢を視覚で聴き、
人が出歩かなくなったこの街のあらゆる音を、聴き分けられるようになりました。
でも、「自分の体の変化や、悲鳴を同じくらい聴く必要がある」と今は感じます。

そして今この精神的ストレスを自分と同じように、クラスメイトをはじめ、ロックダウンの中にある世界中の多くの人が抱えていると知り、
その事実は、少し自分のストレスを和らげました。

昨日も書きましたが、このウイルスの流行が去った後、世界中で、ロックダウンの経験からくる精神疾患を発症する人が増えるのではないか?という予感と心配があります。


奇しくもクラスメイトが、こんな言葉をFacebookで紹介してくれて、自分は楽になったので紹介します。(翻訳ひどいです、すみません)。
孤立したスコットランドの島ゴメトラに2年間(電気も使わず)住んでいる人々による、日々の対処法、ルーティンの苦痛から逃れる知恵を話した時のエピソードだそうです。


「私たちは毎日そんなに多くのことはできません。あまり多くの計画を立てないことが重要であることがわかりました 「1日の終わりに1つのことを成し遂げるなら、それは良い日です」。
外界の期待に常に応えられない恐れがあるからです。通常の期待の世界を新しい限られた世界に持っていくと、それが機能しないこと、そしておそらくそれがさらに害を及ぼすことがすぐにわかるでしょう。
リラックスして休憩を取り、人生は今とは異なり、かつて1日でできるすべてのことを成し遂げることはできません。あなたは決して知りません、この方法は長期的にはより良いかもしれません。

孤立したときに重要な人生の別の側面は、イベントや経験を祝うことです。
ここ ゴメトラでは、季節の変化、羊の集まり、風が時速100マイルを吹いていないという単純な事実など、重要な自然の出来事です。
最後に、動物や無生物と話すのはまったく問題ありません。時々、私たちの1人が1週間、島で完全に自分自身を見つけます。そんな時はフェンスの柱や風との深い会話がとても重要です。
フォークランド戦争から戻った後の父の昔のジョークの1つは、島のペンギンと話すことでした。ペンギンと話すのはまったく問題ありません。彼らがあなたに話しかけるときは心配する必要があります。」

私はこれを読んでとてもとても楽になりました。
何故ならすでに最近、家に侵入したアリに話しかけた事があるからです笑
「そこ危ないよ」とか
「おはよー」とか。
狂人です。
でも、今のこの狂った世界では、今のこの状態も許容範囲だと思えます。
アリが話しかけてこない限りは。