海部氏系図・海部氏勘注系図は、京都府宮津市の籠神社に伝わる日本最古の系図の一つです。国宝に指定されています。始祖・天火明命から第34世までの子孫が記されています。

 

海部氏系図・海部氏勘注系図を見て驚かされるのは、系図に記された子孫の中に、何人もの天皇が存在する事です。初期の大和朝廷は天皇家(神武系)と海部氏(天火明系)の連合政権で、海部氏は皇位継承権を持ち海部氏から多くの天皇が出ている事が分かります。

 

始祖・天火明天命(饒速日命)

1世・天香語山命

2世・天村雲命

3世・倭宿祢命

4世・笠水彦命

5世・笠津彦命

6世・建田背命(玉手見命=安寧天皇)

7世・建諸隅命

8世・日本得魂命

9世・乙彦命(彦国玖琉命=孝元天皇)

10世・乎縫命

11世・小登与命(御間木入彦命=崇神天皇)

12世・建稲種命(彦大毘毘命=開化天皇)

13世・志理都彦命(大足彦命=景行天皇)

14世以下省略。

 

もうひとつ驚かされるのが系図の中に「卑弥呼」と思われる人物がいる事です。9世・乙彦命(彦国玖琉命=孝元天皇)の時代ですが、乙彦命の妹に「日女命」という人がいて、またの名を「倭迹迹日百襲媛命」と記されています。

 

その次が10世・乎縫命で、その次が11世・小登与命(御間木入彦命=崇神天皇)ですが、小登与命の妹にも「日女命」という人がいて、またの名を「小豊姫命」と記されています。

 

この家族親族構成が、魏志倭人伝に記されている邪馬台国の女王・卑弥呼の家族親族構成と驚くほど一致しています。

 

(魏志倭人伝では、卑弥呼は年長で夫はいない。弟が国政を補佐している。卑弥呼は西暦247年に死亡。その後、男の王を立てるが国中が服さず殺しあい1000人が死ぬ。そこで卑弥呼の宗女台与を王にしたら国が治まったと記されています。)

 

邪馬台国畿内説論者は「倭迹迹日百襲媛命」を卑弥呼と、箸墓古墳を卑弥呼の墓と、邪馬台国を纏向遺跡と考えていますが、その根拠のひとつに海部氏系図・海部氏勘注系図があると思います。

 

私は邪馬台国九州説論者で、邪馬台国は筑後川流域にあったと考えていますが、この海部氏系図・海部氏勘注系図の存在は目の上のタンコブというか、頭の痛い問題です(××)