祇園山古墳は久留米市御井町にあります。

 

 

福岡県の人なら誰でも知っている「高良大社」の鎮座する高良山の麓にあります。

 

 

すぐ横を九州自動車道が通っています。

 

 

祇園山古墳は九州では数少ない方墳です。東西23.7m、南北22.9m、高さ6m。

 

 

主体部は箱式石棺(草に覆われてよく見えませんが)。

 

 

築造年代は3世紀中頃と考えられています。福岡県指定史跡。

 

 

祇園山古墳の周りには、66人分以上と推定される埋葬施設が発見されています。

(甕棺墓3基、石蓋土壙墓32基、箱式石棺墓7基、竪穴式石室墓13基、構造不明7基)

祇園山古墳を中心に造営された集団墓と考えられています。

 

 

祇園山古墳は邪馬台国の女王「卑弥呼」の

墓ではないかと考える研究者がいます。

 

 

筑後川流域が邪馬台国の有力候補地であること、

祇園山古墳の築造年代が3世紀中頃で卑弥呼の死亡時期と一致すること、

同時期の朝鮮半島の王族の墓が30mほどの方墳だったこと、

箱式石棺であること、石棺はあるが槨が無いこと、石棺に朱が塗られていること、

「魏志倭人伝」では卑弥呼の墓には奴婢百余人が殉葬されたと記されていること、

祇園山古墳の周りにある埋葬施設が殉葬者の墓である可能性があること、

などが根拠となっています。

 

ちなみに卑弥呼の墓の候補地は、

近畿地方では奈良県桜井市の箸墓古墳

(全長278m、高さ30mの前方後円墳)が有名ですが、

九州ではこの祇園山古墳と、

 

 

福岡県糸島市の平原遺跡1号墓

(東西18m、南北14mの方形周溝墓)

 

 

福岡県みやま市瀬高町の権現塚古墳

(直径45m、高さ5、7mの円墳)などがあります。