今日はひとり静かにグレゴリオ聖歌を聴いています。

 

 

これを聴くと、不思議と心が凪いでいくような氣がします。


そしていつも、整形外科のオザキ先生のことを思い出します。

 

当時オザキ先生は高齢者用の賃貸住宅に住んでいまして、私はそこで夜勤のバイトしていました。

 

私が出勤する度に先生は、

 

「今日夜勤なのかい?だったら後で遊びにおいで」

 

いつもそう声をかけて下さっていました。

 

物静かで、腰が曲がってて、動きもゆっくりで(80代だからね)、いかにも優しそうなおじいちゃん先生。

 

本来なら私がするべきなのに、お茶を煎れて下さったり、若いからたくさん食べなさいと食事を振る舞ったりして下さいました。(高級ステーキ肉とか出てくるからびっくり)

 

一方では、触れるだけで身体のどこがおかしいのかがすぐにわかってしまうすごい先生で、

 

指もあまり器用には動かなかったけど、その指でちょんと押すだけでたちどころに悪いところを治してしまうような名医でもありました。(いやほんとに、盛ってるわけじゃなくてほんとにほんとの話ですよ。オザキ先生に出会ったことで、ほんとに名医っているんだなって思ったぐらいですから)

 

どんな感じかと言えば、こんな感じです。

 

昼は学校に行って、夜働いていた私の身体は結構ボロボロで、若いくせにあちこちが傷んだり、肩や腰なんてもうバンバンだったのですが、それを見かねた先生が「ちょっとそこに横になりなさい」と。

 

先生はそういうと、ひとしきり触診して「ここだね」と言って

 

グググ… ポキ

 

あ、先生なんか腰が …

 

「だいぶこってるね〜、首もだな」ボキボキ 

 

あの…首…先生ググググググ…ボキ?

 

「こりゃあひどいな」ピキバキボキ…

 

ワー…センセそれだいじょうブボキボビバボキッ

 

「はい終わり。どう?これで楽になったでしょ?」

 

え…?

 

もう…痛くない!?身体が軽い!!!先生すごい!!!

 

…という具合です。

 

もうほんとに触れるだけでそのひとを癒やしちゃうんです。年を経ると逆に鈍る人もいますが、先生がこれまで積み重ねてきた技術は本当に素晴らしいものでした。

 

第2次世界大戦で戦闘機乗りだった先生は、終戦後に北大に入って医師になり、整形外科医としての道を歩み始めたそうです。当時の日本にはなかったカイロプラクティックの資格を海外で取得するなど、幅広い知識と経験を持つ方でした。

 

また、オザキ先生は敬虔なクリスチャンでもありました。

 

それである日、先生の部屋で流れていた音楽に興味を持った私に「これあげるよ」と下さったのが、グレゴリオ聖歌のCDだったんです。

 

その時、先生は自身がクリスチャンになった経緯を語ってくれました。

 

 

ぼくもね、若い頃はだいぶ道に迷っていてね

戦争も経験して、だいぶ氣持ちがすさんでいたんだ


でもそんな時、ある若い牧師と出会ってね

 

その人はぼくに何を語るわけでもなく

ぼくもその人に何か話すわけでもなかったのだけれど

 

ただその人と一緒にいるとね

心が解けていくような氣がしたんだよ


まるで暖炉のそばにいるようだった

 

そういう体験があったから、

ぼくはクリスチャンになったんだよ

 

 

そう言って遠い目で過去に思いを馳せるオザキ先生。


それを見ながら、私もまた、「いま暖炉のそばにいるんだ」と氣付いたこと思い出します。

 

 

そんなオザキ先生も亡くなってから10年以上が経ちました。でも、今でも先生の若者を思いやる優しいまなざしと医師としての鮮やかな手技はずっと私の記憶に残っています。

 

…思えば、何も恩返しできてないな。

 

今日もひとり、静かにグレゴリオ聖歌を聴いています。

 

これを聴くと、不思議と心が凪いでいくような氣がします。


そしてオザキ先生からいただいたたくさんの優しさを思い出します。


それは今でも私の心を暖め続けてくれています。

 

いつかは私も、暖炉のような存在になりたいな。