兄弟喧嘩をいさめる者、兄弟にとって最も優しく最も厳しい人物、そう母親である。そして喧嘩は終息へ向かう。
兄弟の絶対的支配者である母親が参戦してきたことにより、経験のある年上の者は急速に頭を回転させ始める。この後起きる、自分にとって不都合な未来を回避するための策を考えているのだ。”落雷の発生の回避”、これが彼の頭の中で行われている会議の議題である。方針は大きく2つに分かれる。
・プランA:言い訳をして雷を打ち消す。
・プランB:逃げて自分に雷が落ちるのを回避する。
プランAの実行、言い訳を開始する。そう、仲良しアピールだ。俺たち兄弟は仲良し、喧嘩などしてませんよ、あなたの見たものは幻ですよーと母親に認識させるような言葉を並べる。もちろん言い訳の90%が事実とはかけ離れているものである。それに加えて裏切りが発生する。プリンを取られた者の存在である。
「正義は我にあり。」プリンを取られた者は自分の行っていることは正しいと思っている。そのためこの喧嘩は大義名分を得た正義の執行であるというゆるぎない自信を持っているのだ。つまり、自分は叱られない、母親は自分に加勢する味方だと思っている。兄の思惑など知らない弟はことさら事実だけを説明するのだ。
うしろから刺されるとはまさにこのことである。母親の参戦により”兄 V.S. 弟”が”兄&弟 V.S. 母親”に変化したと思っていた兄にとっては予想外である。こうなってしまえば、言い訳の嘘は完全に露呈する。こうなっては、自分の身を守るため、言い訳の方針は変更される。自分は政党防衛だ、向こうが先に喧嘩を仕掛けてきたのだと。
しかし、母親にとっては兄弟の言い訳などに意味はない。そこに喧嘩があるから止める。それだけである。言い分は止めた後に聞く。ただ喧嘩をしている事実がある。よって言い訳は無用なのだ。そして、最強の言葉「喧嘩両成敗」により刑が執行される。
プランA失敗・・・
プランBに移行する。未来を予見していた者、味方だと思っていた者、両者が同時にプランBを開始する。もちろん失敗する。
最初から落雷を回避できるはずがなかったのだ。母親に喧嘩が見つかった瞬間に雷は発生していたのだ。そして、発生した雷という大きな力を打ち消す力などないない兄弟たち。彼らが雷を消そうとすることは、山火事をバケツ1杯の水で消すことに等しいことなのだ。そのあとは簡単だ。兄弟という柱に雷は落ちるだけなのだ。
こうしてひとまず行為として兄弟喧嘩が収まるのだった。